『聖夜』(2)



***



「私、きっと甘えてたんです。仕事を優先させてばかりだったから……」


 話しているうちに、別れを告げられても仕方なかったのではないかと思えて来た。
 決して彼を軽んじていたわけではなかったが、仕事なのだから仕方がないと思っていたのも事実だ。
 彼も会社勤めで仕事には理解を示してくれていたが、デートのキャンセルが続けば待ち続けるのも嫌になって当たり前だとも思う。
 しかも、身体は心から大好きな人に初夜で捧げたいと言う、今時考えられない時代遅れな夢を持っているような女だ。


「それは違うでしょう。仕事を優先して、何が悪いんです? 自分を卑下するのは止めなさい」


 黙って凌の話を聞いていたレイヴンが口を開いた。
 その顔には、眉間に深く皺が刻まれている。

「生活する為に仕事をしているんでしょう? 君は彼に面倒を見て貰っているわけでもない。だったら、彼は君を応援し支えるべきだった。なのにそれすら出来ず、他に女性を作った。所詮その程度の男だったと言うことです」


(室長……)


 レイヴンの言葉が乾いた心に染みて行く―――


 しかし、同時にふと彼の今の言葉に違和感を感じた。


(『他に女性を作った』……そうよ)



「どうして、ご存知なんですか? 彼に他に女性が居るって……。私、お話していませんでしたよね?」


 他に女性が居ることは、恥ずかしくて話していない。
 それなのに、レイヴンは知っている。
 だとしたら、答えは一つ。

 電話を、聞かれていた―――


 恥ずかしくて、レイヴンの顔を見ることが出来ない。
 俯いた凌を見てレイヴンは椅子から立ち上がり、凌のデスクの傍で膝を折り、顔を覗き込んだ。


「すみません。本当は、最初と最後の会話は聞こえていたんです。長くなりそうだったので、買い出しに出たんですが……」


 「帰って来てもまだ通話中で、如月さんの様子がおかしかったので、悪いなとは思ったのですが立ち聞きしてしまいました」と、レイヴンは続けた。


「買い出しって、カフェですか?」

「ええ。キャラメルマキアートとベーコンレタスサンド、お好きでしょう?」


 にっこりと、レイヴンは笑う。


(最初から、私の為に? あっ……!)
 

 考えてみれば、そもそも社長の家でディナーを食べてきたレイヴンが、サンドイッチを買うだなんて変な話だ。

 レイヴンは本当に優しい。
 仕事も出来て、部下をこうして気遣かってくれる。


(入社して秘書室に配属になった時には室長が直々に指導してくれて……)


 仕事ぶりを見て、ずっとレイヴンに憧れていた。


『解らないことは何度でも聞きなさい。君が理解するまで何度でも説明しますから』

『おめでとう。今日から君は第二秘書ですよ。よく頑張りましたね』


 レイヴンに少しでも近付きたくて、必死に仕事をこなしてきた。


 それが恋心だと気付いたのは、何時だっただろうか。
 
 でも、それは叶わぬ夢だった……。

 去年の秘書室の飲み会で、同期の女性社員が酔った勢いでレイヴンに彼女が居るのかと質問していた。
 その問いに彼は、『そうですね、好きな女性は居ますよ。でも残念なことに恋人が居るみたいで、今は彼女が別れてくれるのを待っているんですよ』と答えていた。

 別れるのを待つ程、レイヴンに想われている女性が羨ましかった。
 だから凌は、レイヴンへの気持ちを忘れる為に、友達の紹介で知り合った珪と付き合い始めた。

 その結果が、これだ。


(好きになりかけていた恋人に振られた所を、未だ憧れの好きな人に見られるなんて……。本当に、今日は最悪なクリスマスだわ。でも……)


「有難うございます、室長」


(室長と二人きりのクリスマス。それだけで充分、感謝しなければいけませんね)


「それにしても、もう仕事をする気分にはなれませんね。宜しければ呑みに出掛けませんか? 私が奢りますよ」


 レイヴンは立ち上がると、自分のデスクの上を片付け始めた。


「室長……、奢りってそれクリスマスプレゼントですか?」


 凌の問いかけにレイヴンは書類を片付ける手を止め、顔を上げた。


「そうですね。他に何かプレゼントが欲しいなら、今日は特別に聞いて差し上げますよ。今夜は願えば何でも叶う聖夜ですからね」


 何でも願いが叶う聖夜―――


(願えば、室長が手に入りますか? 勿論心ごと。でもそれは、叶わぬ夢だから。室長も誰かに片想いをしているから。だから、言いません)


「室長に叶えて貰うことは出来ないですけど、クリスマスに願い事が叶うなら、仕事に理解ある恋人が欲しいです」


 もう仕事で振られるのはごめんだ。


「なら、私がなって差し上げますよ」

「え……?」


(室長は、何を言っているのだろう……)


 今日はただでさえ心が弱っているのだから、これ以上傷つきたくなかった。


「何を言ってるんですか。室長には片想いの人が居るって、呑み会で言っていたじゃないですか!」


(悪ふざけはよしてください!)


 そう言えば、レイヴンに真っ直ぐに見詰められる。
 今まで見たことのないような、真剣な顔。


「それは君のことですよ」

「嘘です。室長は、私に彼氏が居ない時に言ってらしたんですから……」


 そう言えば、凌を見詰める瞳が僅かに曇った。


「あれは、私が勘違いしていたんです。以前、街で男性連れの如月さんを見かけて、余りにも仲が良さそうだったので、てっきり恋人同士だと思っていたんですよ。今年の入社式で会うまでは、まさか君の弟さんだったとは思わなかったんです」


(弟……?)


 確かに、凌には二つ年の離れた弟が居る。
 弟の清春(きよはる)とは仲が良く、この年になっても一緒に出かけることも多く、よく恋人に間違われたものだ。
 その弟も今年、この会社に入社した。


「まさか……」

「私なら仕事に理解がありますし、適任だと思いませんか?」


(室長が、私を好き?)


「室長……」


(本当ですか? 信じて良いんですか?)


 溢れるように湧く心の言葉は、声に出す勇気が足りずに消えて行く。


「返事を聞かせて頂けますか?」


 不安そうに寄った眉。
 探るような室長の声。


(日頃自信に満ち溢れた室長も、そんな顔をなさるんですね……)


「私も、好きです」


 “貴方が好きです―――”


 声にすれば、何故か涙も溢れてくる。
 
 視界が涙で滲む。


「ずっと……、好きでした」


 言葉にすれば、こんなに貴方が愛おしい。


「聖夜に願いを叶えてくれたのは、君の方でしたね。凌。有難う」


 いつの間にか、目の前に立っていたレイヴンに力強く抱き締められる。


(今、名前……、凌って……)


「室長、―――きゃっ!?」


 ギュウッと、レイヴンに鼻を摘まれる。


「俺の名前で呼んで。凌」


 見詰められれば、魔法をかけられたように逆らうことは出来なくて……

 貴方の名を言葉に乗せる。


「……レイヴン」


 きっと今の自分の顔は、赤くて涙でグシャグシャだ。
 なのに、彼は凌の顔を温かな両手で包み―――


「うん……、はぁっ、……んんっ!」


 凌の唇に口付ける。



 聖夜には、何でも願いが叶うと言う……


 願いを叶えたのは、どちらの方だったのか―――



*END*



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