『幸せの種』(4)



***



 車に乗り込んでから、凌はいつ話を切り出されるのかとドキドキしていた。
 車内のスピーカーからはレイヴンの好みなのか洋楽が流れている。


「あの、私は何をしてしまったのでしょうか?」


 沈黙に耐えきれず、凌は自分から話を切り出した。


「呑み会は楽しかったですか?」


「え? はい。海外研修に行っていた同期が帰国して来たんですよ。菖蒲君が居るなんて知らなかったからびっくりしちゃいました」


 問いに答えてくれないレイヴンを怪訝に思いながらも、凌は呑み会の話を聞かせた。レイヴンは相槌を打ちながらも何処か機嫌が悪そうだ。
 否、話が進むにつれ機嫌がどんどん悪くなって行っているのだが、話すのに夢中な凌は気付かない。


「で、菖蒲君の部屋で呑み直すことになったんです。小牧さんたら酷いんですよ。菖蒲君の部屋に泊まったら食べられるとか。菖蒲君は同期の仲間だし好きな人だって居るのに失礼ですよね。あと、二人に胸のボリュームが足りないってからかわれたんです。胸のボリュームが足りないのは私のせいじゃ無いのに……」


(室長もやっぱ胸が大きい方が良いのかな……)


 凌の胸はCカップとどちらかと言えば大きめの部類に入るのだが、運悪く母親や一番親しい友人である理彩がDカップとサイズが大きい為、それが標準だと思い込んでいるのだ。
 牛乳飲んだら間に合うかな等と考えていると、いつの間にか車が停まっていることに気付いた。窓から外を見ると、公園の駐車場のようだった。


「室長? どうしたんです……んんっ!!」


 レイヴンの方に顔を向けた瞬間、座席のリクライニングを倒される。
 シートベルトを締めていた為衝撃は少なかったが、驚きの悲鳴は声になること無くレイヴンの口の中に消えて行った。


「んっ、んっ、はっ……」


 執拗に口腔を愛撫され、腰から力が抜けて行く。荒っぽく舌を絡め取られ、唾液を絡ませて舌を吸われる。
 下唇を甘噛みしてレイヴンの顔が離れた。キスの余韻にぼうっと霞む目でレイヴンの整った顔を見つめる。


「今更菖蒲になんて渡さない。渡せるわけが無い」


 絞り出すような声。それは凌に言っているようにも、自分に言い聞かせているようにも聞こえる。


「室、長……?」

「凌は菖蒲が好きなんですか?」

「え? 私が好きなのは室長ですよ? どうしたんですか、急に」


 レイヴンは何を言っているのだろう。仲間という意味では、凌は菖蒲のことが好きだ。
 彼が居なくなってから、胸にポッカリと穴が開いたように寂しかった。それは理彩も同じようで、寂しさを紛らわすように仕事に打ち込んだ。
 まだまだ覚えることも多く、二人だけでは寂しいからと理彩とも呑みには行かなくなった。


「凌は今俺がどんな気持ちなのかわかるか? いや、分かっていないから平気で男の部屋に行くことを話したんだろうな。小牧の言う通りだ。泊まれば無事では帰れないかもしれないのに。特に凌は……」

「室長まで何を言っているんですか? 菖蒲君は同期で仲間ですよ。私をどうこうしようだなんて思うわけないじゃないですか」

「彼は同期である前に男だ。同期だから、仲間だから安心だという考えは捨てろ。好きな女が居るからって他の女に手を出せ無くなるわけじゃない。何かあってからでは遅いんだ」


 レイヴンの言っていることは正しいのだろう。
 それでも、凌には菖蒲を疑って見ることは出来ない。否、したく無いのだ。危機感に乏しいと思われても、仲間は疑うよりも信じていたい。


「でもっ! でもっ、私だったら嫌です。もし私が男で、ただの女友達を純粋に部屋に誘って、友達にそんな風に疑われたら悲しいじゃないですか! 異性だったら全て疑ってかからなきゃ駄目なんですか!? 室長にも女友達居るでしょう? その人達を恋愛対象として見たことありますか?」


 凌は男と女にも友情はあると思っている。
 世間で言う従兄弟がいい例だ。従兄弟同士は結婚が出来るのに、仲の良い従兄弟同士でもお互いを恋愛対象としては弾く。
 年が近ければ恋の悩みや勉強の相談もするが、お互いを異性と認識していても恋愛対象にはほぼならない。

 喋っている内に興奮して来たのか、いつの間にか頬を涙が伝っていた。


「すみません凌。人を信じることは大切です。でも、俺の為に男の部屋に一人で行くのは辞めて下さい。凌は私が女性の住む部屋に行くのは嫌じゃ無いですか?」


 レイヴンは凌の顔に唇を寄せ、頬を伝う涙を優しく吸い取った。その優しい仕草に、凌は新たな涙を溢す。


(室長が、女の人の部屋に?)


 想像しただけで、胸が不安で一杯になる。例えそれがただの友達だったとしても、完全には不安を拭えないだろう。
 レイヴンは先程、自分の気持ちが分かるのかと言っていた。どうして気がつかなかったのだろう。どれだけ嫌な思いをさせたのか。


「行っちゃ嫌です。ごめんなさい……」


 カチャリと音を立て、レイヴンは凌のシートベルトを外した。締め付けが無くなった瞬間、凌はレイヴンに強く抱き締められる。
 たくましい腕が背中に回され、かぎ慣れた香水の香りに身体が包まれる。

 再び唇を塞がれ、応えるように凌は薄く唇を開けた。今度のキスは先程の荒々しいキスが嘘のようにとても優しかった。


「ふっ、ぁ……ん。ね、室長……。仕事の話って何だったんですか……っ」


 キスの合間に問えば、レイヴンは困ったように眉を寄せた。チュッと音を立てて唇が離れる。


「仕事の話なんて、最初からありませんよ。凌を彼の部屋に行かせたく無かっただけです。情けないですが、完全な嫉妬ですね」

「室長……」

「車で店まで迎えに行ったんですがもう閉まっていて。もう帰ったのかと思って駅に向かって車を走らせていたら、反対斜線の向こうのスーパーの中から出てくる凌達を見かけたんです」


 だからあんなに早く着いたのかと、今更ながらに気付く。


「わざわざ迎えなんて……。折角の金曜日に迷惑だったんじゃ無いですか?」


 疲れているのに迎えに来て貰うのはやはり気がひける。凌の家から会社まで電車で約一時間。レイヴンのマンションからは車で三十分程の距離だ。


「金曜日だから会いたくなったんですよ。でないと、次に会うのは月曜日になってしまいますから。二日も会えなくなるのは寂しいですからね」

「土日はお忙しいんですか?」

「いいえ、今日言われたんですが珍しく完全オフです。週末は必ずどちらか屋敷に呼ばれるんですけどね。二日も休みだと却ってやることが思いつきませんね」

「じゃぁ……」


 じゃぁ私の為に時間を下さい。喉まで出かかった言葉を寸での所で飲み込む。
 休日も忙しいレイヴンとデートをした回数は、付き合って半年が経った今でも両手の指で足りる程だ。
 仕事帰りに夕食を一緒に食べに行く回数の方が圧倒的に多い。



「じゃぁ、ゆっくりと身体を休めて下さい。読みかけだった本を読んだりDVDを観たり。休日だからって、何処かに出かけなくちゃ行けないわけじゃないですし」

「そうですね。確かにゆっくりと身体を休めるチャンスです。それでは、私が安心して週末を過ごせるように凌を連れて帰りましょうか」

「―――は? えぇっ?」


 驚く凌を他所に、レイヴンはテキパキと倒していたリクライニングを起こし、凌のシートベルトを締めた。
 自分もシートベルトを締め、ギアをローに入れハンドブレーキを下ろす。クラッチから足を離しつつアクセルを踏み込めば、車は滑るように動き出した。


「帰りに深夜まで開いているドラッグストアとブティックに行きましょう。好きなブランドが無ければ申し訳ありませんが、洋服二着プラス部屋着等は我慢して下さい。後、スキンケア等はドラッグストアで間に合いますか?」

「え? 大丈夫です、服はブランドに関係無く気に入った物を買うので。スキンケアも乳液や化粧品は持ってます。あ、けどメイク落としが無いです……」

「ではスーパーとブティックに行きましょう。明日の食材も買わないといけませんから」


 いつの間にか完全にレイヴンのペースだ。


「あの、いいんですか? 私が居ない方がゆっくり出来るんじゃ……」

「折角のオフだからですよ。凌と一緒に居るとリラックス出来るんです。ゆっくりするには絶好の癒しアイテムですよ」

「アイテム……」


 喜んでいいのか悩む言葉だ。チラリと運転席の様子を窺うと、顔は真っ直ぐ前を向いているが、ふざけているようには見えない。


「言葉が悪かったですか? 私が凌と離れたく無いんです。なので週末の凌の時間を私に下さい」


(同じだ……)


 同じ気持ちであることに、胸の奥が小さな火が灯ったように温かくなる。
 凌がレイヴンとの時間を欲しているように、レイヴンもまた同じように思ってくれている。


「はい。私も一緒に居たいです」


 嬉しくて思わず抱きつきたい衝動にかられるが、運転中ではそれは叶わない。


「余り可愛いことを言わないで下さい。運転中なのに抱き締めたくなりますから」


 抱き締める代わりに、信号で止まった時に頭をポンポンと撫でてくれる。
 弟の居る凌は頭を撫でられる経験が少なく、子どもっぽいこの扱いが恥ずかしくも嬉しいのだ。


(早く買い物を済ませて部屋で抱き締めて欲しい……)



 腕に抱かれて安心することを知ってしまったから……

 頼っていいのだと教えて貰ったから……



 開け放たれた鳥籠の扉。臆病な小鳥は、空を飛ぶこと無く鍵を開けた相手の腕の中で羽根を休める―――


 幸せの種は貴方と言う鳥籠の中―――



*END*



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