『三年先まで待てない』(4)
(「幸せの種」菖蒲×小牧続編)
「確かに、小牧は言っていない。俺が勝手にそう解釈しただけだ。俺なら、小牧が倒れたら心配で居てもたってもいられなくなるだろうから」
好きな人に心配して貰えるのは嬉しい。弱っている時には好きな人に気遣って欲しいと思う。
そう望むことは欲張りなのだろうか。
小牧と自分の温度差が悲しい……
「馬鹿ね……」
(あぁ、俺は大馬鹿者だ。己の心の小ささを知られ、呆れられるネタを提供してしまったんだからな)
笑いたければ笑えばいいと、菖蒲は自嘲気味に笑った。
小牧が席を立ち菖蒲の背後に立った。
「本当に菖蒲君は馬鹿よ……」
そう言って、小牧は菖蒲の首に腕を回してギュッと抱きついた。
「小牧……?」
「何度でも言うけど、自己管理がなってなくて倒れでもしたら私は笑うわよ。心配して欲しいですって? 私が心配して治るならいくらでも心配してあげるわよ。けど、実際はそうじゃないでしょう? 倒れてからじゃ遅いのよ。だから、その前に菖蒲君が倒れない様に私が出来うる限りのことをするの。この食事を作るのもそうよ。それは後輩の為だからとか、会社の為でもないわ。私が勝手に菖蒲君を心配してやっていることなのよ」
メンタル面ではある程度励ましなども効果があるが、小牧の言う通り、実際体調を崩した時に必要なのは休養や医師の診断、薬や栄養バランスのとれた食事だ。
菖蒲が倒れないように、自分も疲れているのにも関わらず食事を作ってくれていた小牧。
「……悪い、酷いこと言った。不安だったんだ。後輩の為に早く元気になれとか言うし、お前俺のことなんかもう好きじゃ無くなったんじゃないかって……。……許してくれるか?」
心の中で感じていた不安が言葉となってスルリと出て来る。
最早プライドは粉々に砕け散り、今小牧の目の前にいるのは菖蒲一慶と言う名の情けない男だ。
自分の物差しでしか物事を計れない愚かな男。視野の狭い、小牧の嫌う種類の男。それが今の自分だ。
(もう、流石に嫌われたか……)
小牧の気遣いにも気付けず、傷つけることを言った。
愛想を尽かされても仕方が無い。
それでも、菖蒲は諦めきれず言葉を重ね、首に回された小牧の腕をすがるように掴んだ。
「頼むから……、別れるなんて言わないでくれ……」
小牧の腕を掴む手が震え、声も弱々しくなる。
情けないと思われてもいい、呆れられてもいい。
菖蒲の心を占めるのは「小牧に捨てられたくない」ただ、それだけだ。
「……言わないわよ。言うわけないじゃない。四年近く待って、ようやく私を見てくれるようになったのよ? 今でも夢じゃないかと思う時があるの。菖蒲君が実はヘタレだったくらいで、別れたりしないわよ。勿体無い……」
その声は、いつも自信に溢れた小牧の声とは思えない程にとても小さなものだった。そして声は、震えていた。
ポツリと菖蒲の手に、温かな雫が落ちる。
それが小牧の涙だと気付くのに時間は掛からなかった。
(あぁ、そうか……。小牧も俺と同じだったのか……)
小牧も菖蒲と同じく不安だったのだと、この時初めて気が付いた。
菖蒲が凌を好きだった事を知っているからこその小牧の不安。
あんなに好きだったのに、思いを告げる事なく失恋してしまった菖蒲の弱さにつけ込む形で始まった交際。だからこそ小牧は不安だったのだ。
菖蒲が直ぐに小牧を好きになってくれる筈がないと分かっていたから、いつ他に好きな人が出来て別れを切り出されるとも知れない不安。
そんな不安を抱えて毎日を過ごしていた事を、菖蒲は知らない。
「勿体無いって何だよ……」
弱々しい声でも、小牧らしさを失わないその言葉に力が抜けそうになる。
「菖蒲君は私にとってもお買い得ってことよ」
涙を見られたことを恥ずかしがるように可愛気のない言葉を吐き、小牧が右手で涙を拭う。
そんな姿も、小牧の抱える弱さを知った菖蒲には可愛く見えてしまう。
だが、今はそれには触れない方が良いだろう。
「……あぁ、そう。じゃぁ、買い取って貰おうか」
「え……?」
思わぬ切り返しに小牧が小さく驚きの声を上げた。
(本当は洒落たレストランで渡す予定だったんだけどな……。まぁ、渡すなら今だろ)
首に回された小牧の腕を外し、身体を屈めて椅子の下に置いていたビジネス鞄の中から正方形の小さな黒い箱を取り出す。
箱を開けて中身を取り出し、それを小牧の左手の薬指に嵌めてやる。
―――ダイヤモンドが埋め込まれた婚約指輪だ。
円形のダイヤモンドの隣には、小粒ではあるがハートに型どられたピンクダイヤモンドも付いている。
「よし、サイズもぴったりだな」
小牧の薬指にぴったりと嵌まった指輪を見て、菖蒲は満足気に口元に笑みを浮かべた。
「あ、やめ君……?」
滅多に聞くことの無い、小牧の戸惑った声。
(今日は色んな小牧の表情が見れたな……。叶うなら、これからもずっと小牧の隣で見ていたい。それには……)
「小牧理彩さん、残念ながら三年先まで待てそうにありません。俺と結婚して下さい」
以前如月に、結婚するなら三年以上付き合ってからと言った事がある。
日本へ帰国してから三ヶ月。それは同時に、小牧と付き合い出して三ヶ月経った事を指す。
三年先も自分達は一緒に居るだろうか。
菖蒲は配属されている部署柄、海外への出張も多い。離れている間に小牧に心変わりされる可能性だってある。
そう考えると、三年先まで待てる筈が無い。
欲しいのは確かな証。
瞬きすることも忘れて指輪を凝視している小牧に、再び言葉を紡ぐ。
「必ず幸せにするなんて不確かなことは約束出来ない。それでも、小牧と二人で幸せになりたいと思ってる。俺は小牧の隣で同じ時間を過ごして行ければ幸せだから。俺と結婚して家族になってくれないか?」
「あ……」
小牧の唇がわなないた。
ぽろぽろと涙を溢し、くしゃりと歪めた顔はどこか子どもっぽい。
泣き顔なんて不細工な筈なのに、愛しさが込み上げて来るのは何故だろうか。
(美人はやっぱり泣き顔も綺麗なんだな……)
堪らず椅子から立ち上がり、小牧の背中に腕を回して宥める様に撫でてやる。
「小牧、俺を買い取れ。ルックスもまぁ良い方だし年収もそこそこ良い。借金も浪費癖も無い。ギャンブルもしないし、煙草も呑まない。実家は兄貴が継いでて跡継ぎ問題とは無縁だからお買い得だぞ。ただし、買い取ったが最後、返品は一切認めないからな」
小牧は目に涙を浮かべたままクスリと笑った。
「営業も真っ青な売り込み方ね。いいわ、買い取ってあげる。菖蒲君と結婚する。私と結婚したこと、絶対に後悔させないから」
「俺と結婚したことも後悔させない。だから、二人で幸せになろう……」
「はい……」
背中を撫でていた腕を腰に移動させ、力強く抱き締める。もう片方の手で小牧の顎を固定し、唇を重ねた。
明日も明後日も、三年先も……
幾年先も、二人で歩いて行こう。
*END*
*おまけ*
「明日、小牧の家に挨拶と報告に行ってから結婚指輪買いに行くぞ」
「ちょっ……! 明日って、早すぎよ!」
「小牧の気が変わらない内に話を進めておきたい。来週末には俺の実家に行くからそのつもりで。住む部屋はここで構わないか? お前の部屋ワンルームだし、ここなら一部屋余ってるから。来週中には荷物纏めとけ」
「――はぁ!? もう一緒に住むつもりなの!? 仕事もあるのに来週中なんて無理に決まってるじゃない」
「金曜日は祝日で土日は休み。俺も手伝うし大丈夫だろ。何なら如月姉弟に手伝いを頼む。金曜日に俺の実家に挨拶に行って、日曜日にはダチの軽トラ借りて小牧んとこ行くからな。あぁ……、両家の顔合わせを兼ねた食事会も開かないといけないな」
「相変わらず行動的ね。さっきまでのヘタレ具合は何処行ったのよ……。もう、菖蒲君に任せるわ」
*END*
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