『三年先まで待てない』(3)
(「幸せの種」菖蒲×小牧続編)
鍋やフライパンで料理を温め、お皿に盛り付ける。
今夜のメニューは白米、大根と油揚げの味噌汁、マカロニサラダと五目豆、筑前煮と豚のしょうが焼きだ。
(やべぇ、泣きそう……。こりゃ大分キテんな……)
椅子に座り、久々に目にする温かくバランスのとれた料理に、不覚にも涙ぐみそうになる。
「すっげぇ旨そうだな」
「“旨そう”じゃなくて“旨い”のよ。この理彩様を舐めんじゃないわよ。掴んだ男の胃袋は数知れずなんだから!」
(じゃぁどうして何度も彼氏と別れてんだ、とは言わない方が良いんだろうな……)
喉元まで来ていた言葉を菖蒲はぐっと飲み込んだ。
「悪い。久々のまともなメシにテンション上がってた。小牧も仕事疲れてるのに、態々メシまで悪いな。有難う」
平日では金曜日以外に小牧が訪ねて来ることは稀だ。
今のマンションに引っ越してからも、金曜日の夜になると飲み会で終電を逃した小牧が宿代わりに泊まって行くことがある。
泊まった日は以前の様に翌日の朝、朝食を食べてから帰るということは無く、日曜日の朝までは一緒に過ごしている。
日曜日は家の家事や自分の時間を大切にしたいからと、デートは主に土曜日。
自分の時間を大切にするという点は菖蒲も賛成の為、不満は無い。
「知ってるわ。凌経由で昼食も時間が惜しくて手軽なパンやサンドイッチばっかり食べてるってこともね。昼くらいきちんと社食で食べなさいよ。身体が資本なんだから、倒れられでもしたら同僚や会社自体に迷惑なんだから。社会人としての自覚が足りないんじゃない?」
(社会人としての自覚……か。相変わらず毒舌だな)
任された仕事をこなすのは当たり前、それ以外にも自身の体調を管理するのも重要な仕事だ。
体調を崩して仕事が出来ないだなんて、言い訳にもならない。
「そうだな……。今の仕事は週末には一段落するし、そしたら睡眠不足ともおさらば出来る」
「そう。なら良かったわ。ここ三週間は会社以外では会ってなかったし、何度かロビーで疲れた顔した菖蒲君見て心配してたのよ」
小牧の言葉がドキンと胸を打つ。今まで小牧から体調を気遣われたことは無かった。小牧が一番に心配する友人は如月だけ。
「そうなのか?」
嬉しい気持ちを抑え、菖蒲は素っ気なく答えた。
気付かれれば間違い無く小牧に笑われる。
「そうよ。菖蒲君狙いの後輩が心配して大変なの。けど、最近は『疲れた顔をした菖蒲さんも素敵』とか『私が癒してあげたい』とか言ってたわね。鬱陶しいから、早く元気になって安心させてあげてちょうだい。うちの腰掛け女社員共は、将来安泰なエリート社員が大好きだから」
自惚れでは無いが、菖蒲は人から向けられる好意には聡い方だ。
好みのタイプの女なら自分から声をかけたり、誘われれば食事等に付き合うが、そうでないタイプの女の場合は誘いをそれと無く断ったり、気付かない振りをする。
帰国してから、受付から好意の含まれた視線を感じるようになった。
ふと目を向ければ、受付に座る女性社員達と目が合い、ニコリと微笑まれる。彼女達が自分を見ていると気付いているはずなのに、その側に居る小牧は仕事に集中しているのか菖蒲に視線すら向けない。
菖蒲は小牧に告白されるまで、好意を持ってくれていた事すら気がつかなかった。
たまに泊まって行く時も、ただの親しい同期としてしか見られていないと思っていた。
だから今でも信じられないのだ。小牧が自分のことを好いてくれていることを―――
「何だ、小牧は心配してくれてないのか?」
「するわけないじゃない。さっきも言ったでしょ、自己管理も仕事の内だって。それが出来ず体調を崩すようなら自業自得」
「何を今更言っているのよ」と小牧は笑う。
しかし、その言葉と顔は菖蒲を傷つけるものでしか無かった。
「ほら、お箸持って。いい加減食べましょ。頂きます」
箸を持ち、味噌汁に口をつける小牧を見ても菖蒲は箸を持たなかった。
温かく豪華な食事に先程まで確かに空腹を刺激されていたのに、今は全く食欲がわいて来ない。
(例え俺が倒れても、小牧は自業自得だと関心を持たない……。俺って、小牧にとって心配される価値も無いのか)
もし小牧が倒れたら、菖蒲は心の底から心配するだろう。叶うならば一番に駆け付けたいし、それよりも倒れたその場に居たいと思う。
そして、小牧が早く元気になるように自分に出来うる限りのことを小牧にしてやりたい。
小牧の身に何かあれば、きっと平常心では居られない。今では小牧と別れることや喪うことを考えると、言葉では言い表せない恐怖が心を支配する。
それ程に、菖蒲は小牧に溺れている。
二人きりの時、今まで見せていた計算された笑顔は見せなくなった。
気が強くて意地っ張り。人に弱味を見せるのが嫌いで、弱っている時は人を寄せ付けない。
兄が居るのに甘え下手で、だからこそたまに甘えてくるところが堪らなく愛しい。
華やかな容姿に似合わず、どちらかと言えば洋食よりも和食派で、お洒落なバーよりも居酒屋の方が好き。
小牧の事を知れば知る程好きになっていく自分が居る。
以前はただの気の合う同期で、如月を狙っていた時は保護者面をして邪魔をしてくる小牧を鬱陶しいとさえ思っていたことがあるのに―――
ずっと自分を好きだったと告白されてから三ヶ月。
最初は好かれている自分の方が優位に立っていたはずなのに、今はきっと小牧が菖蒲を好きだと思う気持ち以上に、自分の方が小牧のことがずっと好きだ。
「どうして金曜日じゃ無いのにここに来たんだ? 俺が倒れようと自分には関係無いと言ったし、倒れたら自業自得だと笑う格好のネタになるんじゃないのか? 自分の後輩の為なら、明日も仕事なのに料理まで作って待つのか? 仕事で疲れているのに、後輩想いな先輩だな」
自分でも驚く程、低い声が出た。
「あんた……、何言ってるの?」
菖蒲の言葉の意味を計りかね、小牧は眉を潜めた。
「何って、言葉通りだ。俺はお前にとって価値のない男なんだから、俺のことなんか放っておけばいい」
「何よそれ。価値が無いだなんて、私一言も言ってないわよ。それに、この私が腰掛け後輩の為に菖蒲君に食事を作るわけないでしょ。私だって少なからず疲れてるの。後輩の為にそんな暇なことしないわよ。そんなに倒れても心配しないって言ったのが気に障ったの?」
ムッとした顔をして、小牧が箸を置いた。
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