『三年先まで待てない』(2)
(「幸せの種」菖蒲×小牧続編)




 駅に向かう清春と大通りで別れ、菖蒲は自身が住むマンションの一階に入っているスーパーで夕食用の食材を買ってから帰宅した。


「二十四時間営業のスーパーが入ってるって本当に便利だよな。今日は疲れたし、簡単にうどんで済ますか」


 疲れている時こそバランスの良い食事を摂るべきだとは分かっているのだが、連日の残業疲れで自炊をする気にはなれない。


(昨日は屋台のラーメン、その前はスーパーの弁当、更にその前は冷凍してたお好み焼き……。典型的な独身男の食生活だな)


 自炊は嫌いでは無いが好きでも無い。外食は便利だが経済的では無い。よって、自然と自炊という選択肢に落ちついている。
 上着の内ポケットからキーケースを取り出し、ドアを開ける。


「ただいまっと……あぁ?」


 いつもの様に暗い部屋が出迎えてくれる筈が、ドアの向こうは何故か明るい。


(俺としたことが、消し忘れたのか……)


 電気代が勿体無かったなと反省するが、そこである事に気付く。


「あれ? 朝に電気なんかつけたか?」


 菖蒲の借りている二LDKの部屋は日当たり良好で、晴れた日の日中はリビングの照明をつけなくても十分明るい。
 部屋が明るいことに疑問を感じながらも、リビングへと続く短い廊下を恐る恐る進んでいく。
 すると、テレビの賑やかな音が聞こえて来る。


「流石にテレビまで消し忘れたなんてことは無いだろ」


 ここまで来れば、いくら何でも誰かが部屋に居ることくらい分かる。
 だが、菖蒲の部屋の鍵は離れて暮らす両親や、兄にも渡していない。
 以前住んでいたマンションの合鍵は、何かあった時の為にと両親に渡していたのだが、帰国して新たに契約したこの部屋の鍵は親に渡す歳でも無いからと、リビングの壁に吊るしたコルクボードにぶら下げてある。


(じゃぁ、誰だ?)

 
 セキュリティのしっかりしたマンションだからと言って、泥棒が入らないという保証は無いのだが、果たして泥棒が堂々と明かりとテレビをつけるだろうか。

 リビングに足を踏み入れると、ゆったりとソファーに座る人物が目に入った。
 風呂上がりなのか、うっすらと赤く色づいた頬。緩く巻かれた赤みを帯びた髪。ピンク色のスウェット。
 クッションを抱き締め、テレビを見ている姿は何処か憂いを帯びていて、知らず菖蒲の喉が小さく鳴った。

 菖蒲の視線に気付いた女は、菖蒲の顔を見るなり目をつり上げた。
 そこには先程までの憂いを帯びた表情をしていた女など存在しない。


「遅いっ!」

「何でお前が居んだよ、小牧っ!! つーか、どうやって入った!」


 百歩譲って小牧が此処に居ることは許そう。だが、残業をして疲れて帰って来た彼氏に対して随分な言い草では無いだろうか。
 菖蒲の指摘に、小牧はふふんっと意地悪な笑みを浮かべてコルクボードを指差した。


「やだ、気付かなかったの? 前来た時に合鍵持って帰ってたのよ、私。一ヶ月も経つのに無用心ね、菖蒲君」


 コルクボードを見れば、確かに鍵が無かった。


「無用心とかお前が言うなっ! そして勝手に鍵を持って行くな!」


 意図せず大きな声が出てしまい、菖蒲はハッと口を押さえた。見れば小牧も耳を押さえている。


「びっくりした〜。やめてよね、何時だと思ってるのよ。もう二十三時よ? 近所迷惑って言葉知ってる?」

「す、すまん……」


(―――って、何で俺が謝ってんだよ!)


「ふんっ。まぁ、いいわ。それより、私お腹ペコペコなの。菖蒲君、鍋二つとフライパン温めてご飯よそって、冷凍庫から小鉢とマカロニサラダの入ったボウル取って。準備出来たら呼んでね。あっ! お味噌汁は絶対に沸騰させないでよね!」


 言うだけ言って、小牧は再びテレビに視線を戻した。
 何を見ているのかと画面を見れば、サッカーの試合。小牧がサッカーに興味があるとは意外だ。知り合ってから一度としてサッカーの話題など上がったことがない。
 更に、ガラステーブルの上には数枚のDVDが置かれている。
 DVDケースには付箋で“グラジオラス河崎VS聖末リリー”“聖末リリーVSチェリーブロッサム星陵”“聖末リリーVSサンフラワー東雲”と書かれており、小牧が持ち込んだ物だと分かる。


「小牧、聖末リリーのファンなのか?」


 聖末リリーは地元のサッカーチームだ。聖末学園の創立者である小鳥財閥がスポンサーで、食品部門の清涼飲料水のCMに選手が度々起用されている。


「まぁ、チケットが手に入れば行くくらい。恥ずかしいから来るなって言われてるんだけどねー。嫌よねー、もう二十四にもなるのに」

「来るなって、チーム関係者に知り合いが居るのか?」

「んー、まぁ。ほら、あの十一番の子。菖蒲君知ってる?」


 指差しされたところを見ると、フェンスに当たって跳ね返って来たボールを十一番と書かれたユニフォームを来た青年がシュートを決めたところだった。


「FD(フォワード)の篠宮 充(しのみや みつる)? スポーツ飲料のCMにも出てるよな。エースストライカーだっけ」


 FDは前線のポジションの一つで、主に攻撃をするのが仕事。中央に位置するFDはCF(センターフォワード)と呼ばれ、得点を取ることが要求される。CFにはストライカーや点取り屋などと呼ばれる選手が多い。
 篠宮もストライカーと呼ばれる選手の一人だ。


「うん、篠宮充。みっつんは私の弟君なのよ」

「は? えっ、弟? だって苗字違うだろ」


 見比べるように再び画面をみると、シュートを決めた篠宮のもとへ他の選手達が駆け寄って行くところだった。するとカメラが切り替わり、篠宮の顔がアップになる。
 背が高く、がっしりとした逞しい体格。短めに切り揃えられた髪に精悍な顔立ち。


(言われてみれば、目元や笑った時の顔が似てるような……)


「みっつんは高校卒業と同時にプロ入りしたんだけど、その時に同い年の従姉妹と結婚したのよ。叔父さんとこ娘しか居なくて、うちには男二人も居て狡いって。しかも娘溺愛してるから、何処の馬の骨とも分からない男を婿養子に貰うなんて論外だって言っててね。それなら、従兄弟と結婚させる方が安心だからって、次男のみっつんに目を付けたわけよ。叔父さんにとっても可愛い甥なわけだし。で、二人は狙い通り恋仲になったの。まぁ、昔から仲良かったし、彩華(あやか)ちゃんって長女だけど庇護欲そそる可愛い子なのよね。プロになって社会に出るわけだから、他の女に目が向かない様に結婚させることにしたの。今は一男一女のパパ」


 「本当は叔父さん、みっつんが逃げられなくなるからって出来婚を期待してたらしいんだけど、みっつんってば寡黙で堅物だからそれは無理だったみたい」と、ケタケタと小牧は笑う。

 娘が何処の馬の骨とも分からない男と結婚してしまうくらいなら、自分の甥と結婚させた方がマシとは……。聞けば二人がまだ幼い頃からそれを狙っていたらしく、二人は自然と付き合うようになったらしい。


(これってある意味、一種の洗脳だよな……)


 娘を思い、十八年と言う長い時間をかけて蒔き育てた種。彼の狙い通り、甥は義理の息子となり、可愛い孫が二人も生まれた。
 だが彼には、まだやらなければならないことがある。


(こりゃ、次女が大変だな……)


「夕食準備してくる……」


 既に種は蒔かれた後なのか、それとも蒔く前なのかは分からないけれど、次女が幸せになれればいいなと菖蒲は思った。



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