『社長の上手な諌め方』(2)
(「チョコ味のキス」続編)




(室長……、また変なこと考えてるんじゃないですよね?)


「室長……、これ以上社長を怒らせないで下さいね? 困るの私なんで」


(もうこれ以上社長に睨まれたくない……)


 このままでは身も心も持ちそうにない。
 

「そうですね。それはそれで楽しいですが、ずっと社長に独り占めされるのは困りますからね」


(―――!?)


「な、何てこと言うんですか!?」


 皆居るんですよ! と、慌てて回りを見るが、皆慌ただしく仕事の準備をしていて誰も気付いていないようだった。


「私の部下達は皆優秀ですね」

「いや、そこ感心するとこじゃないですよ!」


 焦る凌に苦笑しながら、腕時計を確認する。時刻はもうじき一時。
 程なくしてスピーカーからメロディーが流れ出す。午後の合図だ。


「さて、それじゃぁ行きましょうか」

「行くって、どちらにですか?」

「どちらにって、社長室ですよ」


 そう言って、レイヴンは手帳とファイルを持って一人社長室の方へと足を向けた。


「社長室!?」


 当然のように口にするレイヴンに、凌は絶句した。


(社長室に行くって、どんだけ社長怒らせるつもりですか!?)


 あれだけ珀明の機嫌を損ねておいて、まだ損ね足りないのだろうか。


「待って下さい室長!」


(とばっちりはごめんですよ!!)



***



「それで? 何故此処にこいつがいるんだ、如月。理由を聞かせて貰おうじゃないか」


 レイヴンと凌が揃って社長室に入ると、珀明は敢えて本人にではなく凌に何故レイヴンが居るのかを問うた。


(あぁもう……、本っ当に怖いんですけど!)


「あの、その……」


 何か言わないといけないのに、こんな時に限って上手く言葉が出て来ない。
 自分は何一つ悪いことはしていない筈なのに、何故こんな扱いを受けているのだろう。


(もう、誰か助けて〜!)


「もういいじゃないですか。公私混同もいいとこですよ」


 凌を庇うようにレイヴンが口を開いた。
 しかし、その言葉は凌が期待したものとは大きく違っていた。


(だから! どうして室長は火に油を注ぐような真似をなさるんですか!?)


「何だと?」


 案の定、珀明はその冷たい瞳を更に細めレイヴンと凌を睨んだ。


「あんまり心が狭すぎると、奏様から嫌われちゃいますよ」

「貴様……」


 ピリピリとした空気が漂う中、レイヴンは珀明の眼光を動じることなく笑顔で受け止めている。


(この人達って……)


 互いに一歩も退かない中、その空気を打ち砕くように電子音が鳴り響いた。
 それは珀明のデスクに置かれた携帯電話の着信音だった。

 煩わしそうに、珀明は電話を掴んで耳に宛がう。


「何だ? ―――っ!?」


 その瞬間、珀明の表情が変わった。


「いや……、丁度手が空いていた所だ。……そんなことはしていない」


(社長が、笑ってる?)


 笑っていると言える程、分かり易いものではないけれど、目に少しだけ優しさを滲ませ、口元が僅かに上がっている。


(一体誰が……)


「奥様ですよ。分かり易いでしょう?」


 不思議がる凌に、レイヴンが耳打ちしてくれる。


(社長の奥様……)


「……そうか。なら今から帰る。いや、大丈夫だ」


(……帰るって何ですか? っていうか、いいんですか!?)


 凌が隣に立つレイヴンを問うように見れば、レイヴンは口元に笑みを浮かべていた。


「葉月、私は帰る。後の始末はお前がつけろ」


 電話を終えた珀明は、椅子から立ち上がり鞄に書類を詰め始めた。


「畏まりました。下に車を待たせてあります。お気をつけてお帰り下さいませ」


 そして、凌は困惑したまま、レイヴンは口元に笑みを浮かべたまま珀明を見送った。


「帰らせてよかったんですか!? この後支社の視察や会議があるんですよ!」


 今からキャンセルだなんて……と焦る凌を余所に、レイヴンは落ち着かせるように凌の肩に手を置いた。


「大丈夫です。午前の段階で午後の予定は全てキャンセルしてあります」


(―――はい?)


「だってあのままじゃ仕事になんてなりませんからね。奥様に連絡して新しく手作りのお菓子を作って下さるよう頼んだんですよ。ついでに今日の振る舞いもご報告したので、何とかして下さるでしょう」

 これで安心です。と室長は悪戯に成功した子どもの様に楽しげだ。


(それって、つまり……)


「全部室長の策略ってことじゃないですか!」


(午前中に奥様に社長を諌めて下さるよう連絡をして、社長がご帰宅することを見越して予定をキャンセルして、タイミング良く奥様から電話が来るようにしてお送りする車まで準備して。それって都合良すぎですよね!?)


「策略とは人聞きが悪い。全ては社長及び共に働く社員の為じゃないですか。それに、今回社長を一番上手く操ったのは私じゃありませんよ」


 幼なじみだというレイヴンよりも、珀明の扱いを心得ている人物。


「社長の奥様って何者ですか……」

「そうですね、社長には勿体ない程心の広い方、とでも言っておきましょうか」


(私と同じ様な年齢で、社長を上手く諌められるなんて……。本当にどんな女性なのだろう? 一目でいいから見てみたいな……)



 奏について想像を膨らませる凌が奏と出会うのは、もう少し先の話。
 また、その出会いでもちょっとしたハプニングがあり、奏と珀明、レイヴンの前で恥ずかしい思いをすることを、この時の凌はまだ知る由も無かった―――



*END*



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