『想い描いていた女性』(1)
(「社長の上手な諌め方」続編)




「もうお見えになる時間ですね……」


 凌はじぃ〜っと時計と睨めっこしながら、その時が来るのを待っていた。
 時計の針が時を刻む度、緊張のあまり呼吸が苦しくなっていく気がする。


(そりゃぁ、お会いしたいと思ってましたよ。社長の奥様に。どんな方なのか気になってました。でもですね、ちょっとこれは急すぎではないですか?)


 ―――それはほんの二十分前に遡る。


 全てはレイヴンのこの一言から始まった。

 手紙の仕分けをしていた凌にレイヴンが言った。


「如月さん、これから奏様が書類を届けにいらっしゃいます。私と社長は会議に行かなくてはならないので、戻るまでお相手をお願いしますね」


 そう、レイヴンはまるで天気の話をするかのようにさらりと口にした。

 今日は土曜日で本来なら会社は休み。しかし、今日は他社の社員を交えた会議があり、少人数の社員が出勤していた。
 秘書室に出勤しているのは凌とレイヴンだけ。

 何でも、必要ないだろうと社長宅に置いて来た書類が会議で必要になってしまったらしい。
 普通なら社長宅に仕えている人に届けて貰えば済む話だが、会議は午前中で終わりなので奥様に届けて戴いて一緒に食事に出掛けることにしたのだそうだ。
 その為、会議が終わるまで凌が秘書室で奥様の話し相手を任されることになった。

 短い回想を終え、凌はまた時計に視線を向けた。


「自信ないです室長……」


 だってあの社長の奥様だ。普通の女性であるはずがない。


(ドラマとかでよくある、美人だけど性格がキツかったりしちゃうんじゃ……。いくら私と歳が近いからって、上手くいくとは限らないわけで……)


 考えれば考える程、後ろ向きな考えしか浮かばない。


「駄目、泣きそう……。やっぱ無理ですよ室長〜」


 不安から溢れ出た涙を指先で拭う。


「あの、大丈夫ですか?」

「――ほぇ?」


 声と共に視界の隅に、差し出されて見えるハンカチ。


「あ、有難うございます」


 凌を気遣う声に、ハンカチを受け取りながら持ち主の顔を見上げた。


(び、美人さん〜)


 そこに立っていたのは、十五・六歳の少女だ。
 肌は透けるように白く、腰近くまである艶やかな焦げ茶色の髪。
 その容姿には“可愛い”よりも“美人”という言葉の方がぴったり。


(まるで、お伽噺のお姫様みたい……)


「あの……?」

「あっ! ……ごめんなさい。え〜っと、貴女は?」


 見惚れていた凌は、少女の不安気な声に我に返った。


「倉橋家の遣いの者で、瑪瑙(めのう)と申します。本日は珀明さんの書類をお届けに参りました」


 そう言って、少女――瑪瑙は優雅にお辞儀した。


(瑪瑙、さん? あれ? でも確か社長の奥様がいらっしゃるって……)


 しかし、目の前に立つ少女は、どう見ても子どもだ。


(親戚とか屋敷でアルバイトしてる子かな?)


 奥様の都合がつかなくなって、瑪瑙が来ることになったのだろうか。


「瑪瑙さん、とお呼びして構わないでしょうか? お待ちしておりました。初めまして、私は第二秘書を務めております如月凌と申します」


 手に持っていた名刺入れから名刺を取り出し、凌は瑪瑙に差し出した。
 瑪瑙は名刺を「頂戴致します」と受け取り、目を通した。


「女性では珍しいお名前ですね」

「そうですね。名前だけだと、大抵男性に間違われるんですよ。生まれてくるのが男の子だと信じていた父が、凌と書いて“りょう”と言う名前を考えていたんです。でも生まれたのは女の子で、読み方を変えて“しのぐ”とつけたんです」


 どちらにしても、女性よりも男性につける名前だ。
 何かと面倒なこの名前を凌は好きになれないでいる。


「素敵な読み方ですね。“しのぐ”には、どんな困難にも耐え抜き、苦難を乗り越えるという意味がありますから」

「―――!!」


 瑪瑙の言葉に、凌は驚いた。
 そんなことを考えたことはなかったし、誰にも言われたことが無かった。


「あ、有難うございます。初めて言われました」


 本当にそんな意味から父が付けたのかは分からない。
 けれど、そんな意味もあったのではと思えば、不思議とこの名前が好きになれる気がした。


(不思議な女の子……)


 応接スペースへ案内し、日本茶をお茶請けと共にテーブルへとそっと置いた。


「有難うございます。頂きます」


 瑪瑙は両手を合わせ、手をお手拭きで拭いてからお茶を口に運んだ。


「美味しい……。茶葉の香りがいいですね」

「有難うございます。お口に合ってよかったです」


 瑪瑙の言葉に凌はホッと息を吐き、自分もお茶に口をつけた。


(うん。室長のには遠く及ばないけど、いい味……)


 しかし、本来来るはずだった社長の奥様にお出しするのには微妙な味でもある。


(奥様がいらしても、緊張して美味しく淹れられなかったかもしれない。今度また室長に指導をお願いしてみよう)


 互いにお茶を飲み、落ち着いたところで瑪瑙が口を開いた。


「お忙しい所、わざわざお相手頂いてすみません」


 丁寧に頭を下げる瑪瑙に凌は慌てた。



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