『想い描いていた女性』(2)
(「社長の上手な諌め方」続編)




「お気になさらないで下さい。一応これも室長……、上司から任された立派な仕事ですから。それがなくても暇でしたし……って、いや……あの……」


 うっかり口が滑ってしまい、凌は慌てて口元を押さえた。
 その様子を見て、瑪瑙がクスリと笑う。


(笑われた……。年下の女の子にみっともない姿を見られ、更には口が滑って笑われてしまうなんて……)


「すみません。でも、お相手して頂いて有難うございます」


 落ち込む凌に、すかさず瑪瑙からのフォローが入った。
 なんとも大人な対応だ。
 これではどちらが年上か分からない。


「いえ、言葉には気を付けるよう室長からよく言われるんですけど、つい……。今みたいに、喋り過ぎたらいつも室長がフォローしてくれるんです」


 二度も失態を見せている為、凌は自ら打ち明けた。
 二十五歳にもなって上司に庇われるとは情けない話だが、瑪瑙は今度は笑わなかった。


「素敵な上司の方ですね」

「はい。新人の頃から物覚えの悪かった私に、同じことを何度も丁寧に教えて下さって。仕事も出来て、憧れなんです。社長の扱いも上手いですし……あっ!!」


 室長を褒めて貰えたことが嬉しくて、凌はまたうっかりと口を滑らせた。
 しかも、今のは聞きようによっては主を貶されたとも取れる発言だ。

 今度こそ気分を害されただろうと背中がヒヤリとしたが、目の前に座る瑪瑙は口元に手をあてて笑っている。


「大丈夫です。珀明さんは気難しい方ですから……。それに、レイヴンが珀明さんの扱いが上手いのは確かですし」


(レイヴン……?)


「め、瑪瑙さんは室長を御存知なんですか!?」


(て言うか何故呼び捨て!?)


「はい。レイヴンは屋敷で執事をして下さっている葉月さんの息子さんなんです。学生時代は屋敷の使用人棟に住んでいらっしゃったので、葉月さんと区別する為にレイヴンと呼んでいるんです」

「そうなんですか……」


 瑪瑙の言葉に凌はホッとした。


(室長のお父様が執事をなさっているなら、昔から一緒に住んでるなら呼び捨ても普通よね)


 しかし、それは屋敷に勤めている者全員がレイヴンと名前呼びしてると言うこと。


(私は未だに室長を名前呼びするの恥ずかしいのに……。それにしても……)


「よかった。てっきり瑪瑙さんが室長のことを好きなんだと思っちゃいました」


(瑪瑙さんみたいな綺麗な人が相手だったら、私に勝ち目なんて無いもの……)


「え? 私がレイヴンを、ですか?」


(―――え?)


「――――ぁっ!!」


 瑪瑙の驚いた顔に、凌は自分の口を両手で塞いだ。


(今のっ、私……口に出して!? 安心しすぎて心の声が!? って言うか、今の私が室長のこと好きだって言ったも同然じゃない!)


 しかも相手はレイヴンの仕事仲間だ。ドジな所ばかり見られ、釣り合わないと思われているに違いない。


(これで室長と付き合っているなんて知られたら……)


「あの、私はレイヴンを尊敬してますけどそういった感情はありません。それに、レイヴンの恋人さんは如月さんだと伺ったのですが……」

「―――え! 伺ったとは……?」


(誰から? 社長……?)


「レイヴンからです。『私の大切な女性が対応します』と、電話で……。恋人さんという意味ではないのでしょうか?」


(室長ぉぉ!? 室長自らバラしていたなんて……)


 別に隠していたわけでバラすも何もないのだが、出来れば知られたくなかったというのが凌の本音。
 それでも、『私の大切な女性……』と言って貰えたことはとても嬉しい。


「えっと、あの……はい、一応……恋人です」

「“一応”……ですか?」


 何故か“一応”とつけてしまった。
 凌には堂々と「恋人です」と言える程自分に自信が無かった。
 だから社内恋愛が禁止でも無いのに、レイヴンとの関係を秘密にしていた。

 『釣り合っていない』と言われるのが怖くて……


「室長と釣り合ってないって、自分でも分かってるんです」


 レイヴンと釣り合っていないことは凌も自覚していた。
 仕事も出来るわけでもなく、綺麗な容姿でもない。


(室長の隣にはきっと、瑪瑙さんのような女性が似合う)


 綺麗で、思い遣りのある女性が。


「釣り合うって、何ですか?」

「え……?」

「如月さんは、釣り合う釣り合わないでお付き合いなさる男性を決めるのですか?」


 真っ直ぐな、瑪瑙の言葉。


「それは……、だって……」


(相手に迷惑をかけてしまうかもしれないから……)


「では如月さんに釣り合う男性はどんな方ですか? 例え今釣り合っていても、将来その方が如月さんよりも出世してしまったら、釣り合わないからと別れてしまうのですか?」

「そんなことっ!」

「その逆もあります。出世した如月さんが、相手から釣り合わないと別れをきり出されるかもしれません。如月さんはそれを受け入れるのですか?」

「そんなの、嫌……」


(嫌いなわけでもないのに別れを切り出されるだなんて……、そんなの納得出来ない!)


 凌の答えに瑪瑙はにっこりと笑った。


「如月さんは今、御自分が出世することで相手に別れを告げられたら嫌だと仰いました。きっと、レイヴンも同じ気持ちなのだと思いますよ」

「釣り合う釣り合わないは、意識の問題です。そんな些細なことで、崩れてしまう関係ではないでしょう?」


 責めるものでもなく、諭すものでもない、瑪瑙の言葉。
 罪ですら包み込んでしまうかのような、澄んだ空気。


(あぁ……馬鹿だ、私。室長が悪く言われるからって、本当は自分が釣り合わないと批難されるのが怖いだけなのに。自分に自信が無くて、逃げてるだけ……。室長はいつでも私をはじめ、部下を導いてくれた。第ニ秘書になれたのも、室長のお陰なのに……)


「私……、情けないですね」


 レイヴンの為だと言いながら、本当はレイヴンの気持ちなど考えていなかったのだ。


「如月さんは、情けなくなんてありません。それだけ相手を想う気持ちが強いと言うことでしょう?」

「私もそうですが、きっと自分に自信のある方の方が少ないと思うんです。自信は後から付いてくるものと考えて、好きな方を大切に想う気持ちを育てて下さい」


『私もそうですが……』


(こんなに綺麗で、思い遣りのある瑪瑙さんでも自分に自信がないだなんて……)


“自信は後から付いてくるもの”


 いつか、臆すことなく室長の隣に―――


「有難うございます」


 まるで導くかのような瑪瑙の言葉に、凌は心が軽くなった気がした。
 本当は、誰にも相談出来ない不安を誰かに聞いて貰いたかったのかもしれない。

 頭を下げる凌に瑪瑙は困ったように笑った。


「いいえ、私は何もしていません。でも、如月さんのお役に立てたのなら嬉しいです」


 どこまでも控え目で綺麗な少女。


(瑪瑙さんは将来、どんな恋をするのだろう……?)



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