『チョコ味のキス』
(よし、まずは深呼吸)
「すぅ〜、はぁ〜。よし!」
今日は乙女のお祭りバレンタイン。
バッグの中には、レイヴンの為に徹夜で作ったチョコ。
(見た目は……、まぁ美しくはないけれど。ようは気持ちですよ、ね? よし!)
もう一度自分に喝を入れ、凌は通いなれた会社のエントランスに足を踏み入れた。
―――が、すぐに立ち止まり、俯いて溜息をつく。
「でも……、やっぱり胃薬要るかなぁ〜」
履いているパンプスを見つめながら、凌は呟いた。
突然立ち止まった凌に、出社してきた社員達は怪訝な顔をして避けていく。
完全なる通行妨害である。
***
悩みながらも何とか秘書室へたどり着く。
始業より一時間以上早く出社している為、今日も秘書室には室長であるレイヴン以外の社員の姿はない。
(室長今日も格好いいなぁ〜)
きっちりと黒いスーツに身を包んだレイヴンはデスクに座り、チョコレートを口に運んでいる所だった。
(……ん? チョコレート!? バレンタインはせめて私が一番に渡したかったのに……)
レイヴンは秘書室の女性社員のみならず、他部署の女子からも人気が高い。
バレンタインには部署内の女性社員が男性社員全員に日頃の感謝を込めてチョコを渡すのだが、レイヴンはそれとは別に女性社員からチョコを貰っているのだ。
「お早うございます、凌。そんな入口なんかに立っていないで、入ってきたら如何ですか?」
笑いを堪えながら、レイヴンが凌を見ながら言った。
ばっちり見られていたらしい。
凌は恥ずかしさで一気に顔を赤くした。
自身のデスクに荷物を置き、バッグの中からチョコを取り出す。
それを背中に隠してからレイヴンに向き直った。
「お早うございます、室長。あの……、もう社員からチョコ貰ったんですか?」
さりげなくレイヴンの手元のチョコを見る。
薔薇と葉の形をしたチョコ。花びらの薄さなどから、手作りだということがわかる。
(綺麗……)
「あぁ、これですか? 今朝頂いたんですが、社員の方ではないですよ」
「―――ええ!? 社外の方ですか?」
(社外の女性からも人気があるなんて……。手作りだし、きっと本命チョコだよね。本命……かぁ)
社員からのチョコは仕方がないとは思う。
それでも、彼女としては“本命”チョコは辛い。
「困りましたね。凌にそんな顔をさせるつもりはなかったんですが……」
(そんな顔……?)
レイヴンは凌の目の前に立つと、優しく包み込むように凌の身体を抱き締めた。
レイヴンに抱き締められ、嗅ぎなれたフレグランスの香りが、気持ちを落ち着かせてくれる。
「室長……、あっ!」
身体が離れ、凌はレイヴンが手に持っているものを見て慌てる。
レイヴンの為に用意したチョコだ。
「ま、待って下さい!」
あんな綺麗なチョコの後に、不格好なチョコなんて渡せない。
しかし、ラッピングが解かれ中を見られてしまう。
「俺にでしょう? 手作りですね。嬉しいですよ」
中身は一口サイズの生チョコだ。
誰にでも簡単に作れるはずなのに、カットするのに失敗してイビツな形をしている。
レイヴンはそんな不恰好なチョコの形を気にする様子もなく、チョコを添えられたスティックで刺して口に運んだ。
「食べないでください! そんなイビツなの、室長には相応しくなっ……んんっ!!」
抱き寄せられ、キスで口を塞がれる。
「あ……、んんっ!」
開いていた口に、レイヴンの熱い舌と溶けたチョコが入ってくる。
いつもとは違うキスに、目眩がしそうになる。
口の中に広がる、甘いチョコの味。
ビターの筈なのに、甘く感じるのは何故だろう?
舌を吸われ、愛撫するように口内を隅々まで舐められる。
温かい舌の交わりに、次第に身体は熱を帯びていく。
「ふ…ぅ……んぅ」
唇が離され、凌は空気を求める魚のように荒く呼吸を繰り返した。
「ね? 美味しいでしょう?」
にっこりと微笑まれ、凌は更に顔を赤くした。
「で、でも……、あっちのチョコの方が綺麗だし」
「“凌”のチョコの方が嬉しいですよ。俺の為に作ってくれたんでしょう?」
(室長……)
この人はいつも、凌の好きな言葉をくれる。
「室長……」
その言葉が嬉しくて、凌は自分からレイヴンに抱きついた。
レイヴンは凌の突然の行動に一瞬驚いたが、直ぐに抱き締め返した。
凌はレイヴンの耳元にそっと囁く。
―――大好きです
*END*
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