『魔物姫』(1)



 ――昔、ある国で魔物と人間達は仲良く暮らしていました。
 魔物と言っても、魔力を持っていることを除けば、人間の姿と変わりありません。
 しかし、いつしか人間達は自分達の持たぬその力を妬み、魔物達を森へと追いやってしまったのです。
 そうして、心優しい魔物達は、森で暮らすようになりました。

 魔物はとても優しく、憎しみの心を持っていませんでした。しかし、その中で唯一人だけ、憎しみの心のみを持つ魔物の姫が生まれました。
 双子の兄が傍に居る時は心を保ち暮らすことが出来ましたが、兄が何者かに拐われてからは誰にも手がつけられなくなったのです。

 魔物達の長は姫を城の搭に幽閉し、扉に魔封じを施して力を封じました。これで、姫が隣街を襲う心配がなくなったと魔物達は安心しました。
 しかしその数年後、人の街で「魔物たちの城に美しい姫が幽閉されている」という噂が流れ始めたのです。

 姫を魔物達から救おうと、腕に自信のある多くの若者や勇者達が森に入って行きました。 しかし、誰一人として帰って来る者は居ません。
 街の人々は更に森を恐れ、森へ行く者も少なくなりした。
 それでも魔物達を恐れるあまり、人々は話し合いの末魔物達の住む森を焼き払うことを決めました。

 決行の日の朝、街に一人の旅人がやって来ました。
 薄汚れたベージュのフードを目深に被り、手には円柱形の薄汚れた茶色のバッグ。
 街は森の話で持ちきっており、旅人も人々から魔物の噂と自警団が森を焼きに行ったという話を聞き、急いで森へと向かいました。

 森へと通じる木製の橋を渡りきると、そこは火の海。
 人間達の放った火は、魔物達の家と木々を次々と呑み込んで行きます。

 旅人は口に布をあて、森の奥にある城へと炎の中を進んで行きました。
 城の近くまで来ると、焼けた臭いに混じる鉄の錆びたような香り。
 一歩進む毎に臭いは強くなり、やがて目の前に現れたのは赤い血の海。
 赤い海に横たわるのは、魔物と人間達の無数の亡骸。

「間に合わなかったか……」

 魔物達は“憎しみの心”を持たない為、人間や仲間を殺すことは出来ません。
 人間達が互いに殺し合わない限り、人間の亡骸が出ることはありません。
 魔物は人間を殺せない。それなら、姫を助けに森へ向かった人間達が帰って来ない筈が無いのです。しかし、旅人は知っていました。
 ただ一人だけ、人間も魔物も殺めることの出来る魔物の存在を―――

 無数の亡骸を前に立ち竦む旅人の耳に、城の中から何かを引き摺る音が聞こえてきます。

 ズルズル ズルズル……

 その音はゆっくりと、確実に旅人へと近づいて来ます。

 引き摺る音が止むと、閉じられていた城の扉が開きました。
 開かれた扉の中から現れたのは、美しいウェーブがかった金色の髪と透き通るような白い肌をした少女でした。
 少女の纏う白いドレスは赤い血で染まり、腕や手からも血が滴っています。しかしそれは、少女の流した血ではありません。
 少女の手を見て、旅人は言葉を失いました。
 少女が手に掴んでいるのは血だらけの人間だったからです―――
 襟首を捕まれている人間の息は、既にありません。

 目の前の光景に固まる旅人を見て、少女は美しく微笑みました。


 ――人の街で流れている噂。


『魔物たちの城に美しい姫が幽閉されている』


 ―――幽閉されていたのは、“人間”ではなく“魔物”だったのです。


 数年前に魔物の長達によって幽閉された“狂気の姫”。―――《魔物姫》


「――――!?」

 旅人に微笑んだ姫の表情は、次の瞬間には驚きに見開かれました。
 引き摺っていた人間からも手が離れ、支えを失った人間の身体は、重力に従い地面へと崩れて行きます。

「―――に、ぃ様……」

 十年以上前に聞いたきりの、懐かしい声と呼び名―――

 姫の言葉に、旅人は被っていたフードを脱ぎました。
 フードの下から現れたのは、姫と同じ顔と美しい金色の髪。

 ―――姫は双子の兄が傍に居るときは心を保ち暮らせましたが、兄が何者かに拐われてからは誰にも手がつけられなくなったのです。

「……久しいな、カナン」

 変わり果てた美しい妹に、旅人――王子は哀しげに微笑みました。

 其は再会を喜ぶ微笑みなのか……
 其は妹を哀れに思っての微笑みなのか……

「カナン、昔話を始めよう……」

 王子は“拐われたとされるあの日”を語り始めました―――



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