『魔物姫』(2)



 王子は妹をとても大切に思っていましたが、それと同時に、自分が離れれば殺戮に狂う妹を疎ましく思っていました。

 自由になりたい―――

 自分の知らないことが沢山ある外の世界。年月が経つにつれ、その思いは強まる一方でした。
 しかし、外の世界へ行くには森へと追いやった人間達の街を通らなければなりません。
 魔物の特徴を知っている彼らの街を抜ける事は不可能に近く、王子は森で退屈な日々を過ごすしかありませんでした。

 そんなある日、森に旅の一座がやって来ました。
 国々を渡り歩き、曲を奏で踊ることを生業とした彼等。訪れた国で一座に加わる者も多く、肌の色や瞳の色も様々でした。
 心優しい魔物達は一座を歓迎し、王は城の一角を滞在場所として提供しました。

 初めて見る異国の者達。彼等は王子に旅先であった様々なことを話してくれました。
 夜、妹が眠りについてから一座の元へ話を聞きに行くのが王子の日課になりました。しかし、楽しい日々も終わりを告げる時がやって来ました。一座が森を出ていく日がやって来たのです。

 別れの日、王子は一座に自分も連れて行ってくれる様に頼みました。
 外の世界が見たい。外の世界を知りたい。満足すれば国へ帰るから連れて行って欲しい、……と。

 一座には何かしら事情のある者も多く、彼等は必ず国に戻ることを条件に王子を連れて行くことにしました。
 一座の座長は皆が心配するから手紙を置いて来る様に言いましたが、王子は手紙を置いて来ませんでした。
 王子には最初から帰るつもりなど無かったのです。
 こうして、一座と共に一人の王子が森から姿を消しました。

 ―――この後、残された妹がどうなるか心の何処かで分かっていた筈なのに……


***


 十年振りに森を訪れた王子の胸は後悔でいっぱいでした。
 自分が去った後、魔物の長達は殺戮に狂う姫を塔に幽閉し、魔封じを施したのだろうと、王子には察しがついていました。
 強力な魔力を持つ姫を閉じ込めておくには、膨大な魔力が必要でした。その為、攻め来んで来る人間達に魔物達は敵わなかったのです。
 全ての魔物達が倒された今、姫を縛るものはありません。

 魔物姫から“人間”達を守る為に、魔力を使えなかった魔物達―――
 人間を愛し嫌われてもなお、人間達を守ろうとした。優しい、優しい魔物達……

「……皆知っていました。兄様が自ら一座と共に去ったこと。兄様はいつも此処では無い何処かを見ていらっしゃいましたから。だから皆、待つことにしたのです。兄様がご自分で戻ってくるのを……」

 魔物達は全て知っていたのです。王子が外の世界へ行きたかったことも。姫を疎ましく思っていたことも……
 だから魔物達は王子を待つことにしたのです。王子が戻って来るまで、何年でも待つと。

 姫の言葉に、王子は如何に自分が愚かだったのか改めて気付かされました。そして、どれだけ自分が皆に愛されていたのかも……
(……俺が皆を殺したも同然だ)


 自分が愚かな真似をしなければ、妹は狂わなかった。
 自分が愚かな真似をしなければ、皆は死なずに済んだ。

 王子は何かを決意するように一度ギュッと目をつむり、血に濡れた妹の手を掴みました。

「森を出るぞ。そろそろ橋に火の手が回る。俺と行こう、カナン」

 せめて妹だけは守り抜かなければならない。今度こそ―――

 森と街を繋ぐ唯一の橋。木で出来たその橋にも炎が上がっていました。しかし火の手は完全には広がっておらず、何とか渡りきることが出来そうでした。
 安全の為王子が先に橋を進み、後ろから姫が来ているのを確認して橋を渡り切りました。しかし、橋を渡り切った王子が後ろを振り返ると姫の姿はありません。
 姫は今にも焼け落ちそうな橋の向こう――、森側に立っていました。

「カナンッ!」

 姫の元へと戻ろうとしますが、燃え上がる橋に近づくことが出来ません。

「行って下さい、兄様! 決めていたのです。もしまた兄様がお戻りになったら、私は命を絶つと」

 止められない殺意。魔物も人間も関係無く、狂気にかられるまま殺戮を繰り返す。狂っている時の記憶は正気を取り戻した今でも鮮明に残り、狂っている時でさえ心はいつでも悲鳴を上げていた。
 魔物は人や仲間を殺すことは出来ません。だから姫は決めていたのです。兄が戻り、自分が再び正気を取り戻した時、自ら命を絶とうと―――

 自分が居なくなれば、誰も傷付けずに済む。
 自分が居なくなれば、兄は自由になれる。

 姫は王子に微笑み、王子に背を向けて歌を謳い始めました。
 儚くも優しいその歌声は、森全体を包み込むかのように響き渡ります。


 還りましょう
 在るべき場所へ
 眠りましょう
 今は


 それは、王子の好きな子守唄。幼き日、好んで姫に歌わせていた想い出の歌。

「カナン!  行くな!  俺はお前を殺す為に帰って来たわけじゃない!」

 一座と共に世界中を回り、様々な種族を見てきた。背中に翼が生えた者、耳にヒレがある者。自分達だけが異端で無いことを知った。
 そして、再び魔物と人間が共に生きて行く術を見つける為に自分は帰って来たのだ。それは決して妹を自害させる為じゃない。
 王子は何度も姫の名を呼びましたが、姫は一度も振り返ること無く、燃え盛る森の中へと消えて行きました。

「カナンッ……! どうしてっ……」

 王子は力無く地面に膝をつきました。震える手で拳を作り、行き場の無い思いをぶつけるように地面に振り降ろしました。
 そしてその姿勢のまま、優しく響き渡る美しい歌声を耳に刻みつける様に聴き入りました。 決してその歌声を忘れないように……

 歌声が聞こえ無くなった頃、王子――旅人は再び旅に出ました。

 あてもなく訪れた国々で、旅人は心優しい魔物達と美しい歌声を持つ魔物の姫の物語を語り伝えました。
 今でも優しくも儚い魔物姫の歌声が、どこかの森に響いているのだと……



 還りましょう
 在るべき場所へ
 眠りましょう
 今は

 再び目覚めるその時まで
 眠りましょう
 私と共に



*END*



君捧TOP