『見えない壁』【前編】



 学校から帰ると、リビングから綾瀬さんとパパの話し声が聞こえて来た。

「先生、やはりいらっしゃらないようです」

「そうですか……」

 綾瀬さんの言葉に、パパは力無く答える。

(仕事の話、じゃないよね。一体何の話ししてるの?)

 何となくリビングに入り難くて、リビングの直ぐ側にある洗面所に隠れる。

「先生とも同期で親しかったんですもの。無理もないですわ」

「ええ。急に音信不通とは……」

「霧島(きりしま)も責任を感じているみたいで。また情報が入りましたら御連絡差し上げます」

 綾瀬は話が終わると、リビングを出て帰って行った。

(何だか深刻な話だったな。音信不通な、パパの同期……、か。誰のことだろう)

 いつまでも洗面所に隠れているわけにはいかず、リビングに足音をわざと響かせて入る。
 リビングに入ると、ソファに座ったパパが祈るように膝の上で手を組んでいた。

「花白ちゃん……」

 足音に気付いたパパが、顔を上げる。

「パパ」

 側に立った私の顔を見て、パパが力無く笑う。

「話、聞こえちゃってたみたいだね」

「あっ……!」

 座ったまま、パパが私の身体を抱き締める。
 お腹に、パパの顔が当たる。

「僕とデビューが同時期の作家が居てね。彼とは書く話の分野が違ったけど、とても仲が良かったんだ。彼の書くファンタジーは良い作品ばかりで、受賞も沢山していたよ」

 パパの上げる本のタイトルは私でも知っているものばかりで、中には映画化がされているものもあった。
 その人のことを語るパパは少し淋しげで、話を聞くことしか出来ない自分が情けなかった。

「でもね。ある日を境に、彼は自分から姿を消してしまったんだ」

「―――っ!?」

 思いがけない言葉に、思わず息を飲む。

「姿を消したって……」

(どうして……?)

「おかげで編集部は大騒ぎ。彼のデビュー時からの担当である霧島さんが酷く責任を感じていてね。今日は彼女を見かねた綾瀬さんが、手掛かりを求めて来たんだ」

 「僕が彼と一番親しいからね」と続ける。

(どうして、その人は姿を消したんだろう……)

「パパは、その人の居場所に心当たりは無いの?」

「残念ながら、ね。でも、例え彼を捜し出して連れ戻しても、何の解決にもならないだろうね。また、彼は行方を眩ますよ」

「どうしてそう言えるの? また居なくなるって」

 パパの言っている意味が分からない。

「彼から帰って来るのを待つか、霧島さんが彼を探し出して支えるしかないよ。これは、この道を行く誰もが、一度は通るものだから」

「パパ……」

 腰に回された腕に、力が入る。
 まるで、何か内側から沸き上がって来るものを抑えるかのように。

「ただ言えることは、僕には花白ちゃんが居てくれたけど、彼には誰も居ないということ。僕にも彼は救えない」

 「友達なのに無力だね」と、そう言って自分を責めるパパ。私はただ、パパを抱き締め返してあげるぐらいしか出来なかった――


 あれから数日が経っても、パパの口から友達について語られることはなかった。
 そして私は、相変わらず夜になると刹那さんのもとを訪れている。

「花白ちゃん?」

 今夜も刹那さんのところへ向かおうと、玄関の扉に手をかけた所でパパに声をかけられる。

「こんな時間に、どこかに出掛けるの?」

 パパは訝しげな顔で私を見る。
 確かに、こんな時刻に出掛けるなんて感心しないだろう。

「うん、ちょっとコンビニに。今日発売の雑誌、入荷してる筈だから」

 私に愛読している雑誌が無いことをパパは知っている。
 苦しい言い訳だけれど、他に出掛ける理由が思いつかない。
 案の定、パパの表情は変わらない。

(やっぱ駄目だよね)

「花白ちゃ……」

 その時、パパの言葉を遮るように電話の電子音が鳴り響いた。
 私に少し待つように言い、パパは電話に向かった。

 この後の展開が怖くて、私はこのチャンスを逃さずに、逃げるようにドアに手をかけた。
 今逃げても何も変わりはしないと、分かっていた筈なのに――


***


 公園のいつもの場所に、刹那さんを見つけた。

「刹那さん!」

「なんや花白ちゃん。今夜も来てくれはったんやな。せやけど、夜更かしはお肌の大敵やで」

 人懐っこい笑顔の刹那さん。

(和むな〜)

「今日は何の話がえええかなぁ」

 刹那さんは会う度に思い出話などを聞かせてくれる。

「今日は童話っぽい話にしよか。名付けて『魔物姫』」



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