『幼い頃の思い出、パパの心』
家を飛び出したからと言って、別に行くアテなんて無かった。
お財布も無いから、遠くへは行けない。
やみくもに走り回って足を止めた場所は、歩いて十五分程の公園。
大きな公園には沢山の木々が繁り、ベンチや噴水まである。他の公園にいるのか、遊んでいる子どもは一人も居なかった。
「懐かしいな……」
ママが生きていた頃、何度かパパとママと一緒に遊びに来たことがある。
子どもの足では家からは遠くて、行きは楽しみで自分の足で歩いて、帰りは遊び疲れて歩くのが嫌で、パパとママを困らせていた。
錆びついた遊具を眺めながら、ブランコある所まで歩いて行く。
「ブランコ……」
あの頃からパパが大好きだった私は、ブランコを押してくれるのはパパじゃなくちゃ嫌だと我が儘を言っていた。
『もう! 今まではママが押してあげてたでしょ!?』
望み通りパパにブランコを押して貰っている横では、ママが不機嫌な顔で腕を組んで私達を見ている。
『だってパパの方が好きだもん。ね〜?』
『ね〜』
子どもにありがちな独占欲。
私の言葉に、パパは苦笑しながらも頷いてくれた。
『もうっ! ニ人して本当仲がいいんだから。まるで私あたしが悪者じゃないの。全く、英君はまるで花白と結婚したみたいね』
そう言ってママは笑っていた。
ママが亡くなってからは、来なくなった公園。数年ぶりに座ったブランコは、少し漕ぐだけでギィ…と鈍い音を立てた。
パパの言葉が、頭から離れない。
『花白ちゃんは娘じゃないですよ』
(娘じゃない……。ならどうして、一緒に住んでくれたの? やっぱり、ママへの責任感から?)
『花白ちゃんは、いい子だね』
(あの言葉も、笑顔も、全部嘘だったのかな? どこからどこまでが?)
「あ、れっ……」
パタパタと、スカートの上に涙が落ちる。
(……辛い。パパが大好きだから。今でもこんなにも大好きなのに……)
どれくらい時間が経ったのか、気がつけば太陽は傾き始めていた。
(もう直ぐ夕方だ。ヤだな、私。四時間以上もこうしてたんだ。帰りたくないな……)
どんな顔してパパに会えばいいのか、分からない。
俯いて地面を見ていた視界の隅に、ふと急に影が差した。
(なに……?)
そして、直ぐ傍で聞こえる荒い息遣い。
(まさか……)
顔を起こすと、肩で息を吐いているパパの姿があった。
「……っはぁ。やっと、見つけた。花白ちゃん……」
(どうして?)
「……なんで?」
(何でここに居るの?)
「帰ろう」
問い掛けに答えず、パパは私の肩に手を掛ける。
いつもと同じ、優しいパパの声。
『花白ちゃんは、娘じゃないですよ』
(―――!?)
「触らないで!」
気がつけば、パシッと乾いた音を立てて、肩に置かれたパパの手を無意識に振り払っていた。
「花……白ちゃん?」
驚いたパパの顔。
「あっ……」
(振り払うつもりなんてなかったのに……)
混乱して、自分でも何を言って良いのか分からない。
「花白ちゃ……」
「どうして来たの? 私のことなんて放っておけば良いじゃない!」
駄目だ。堰を切ったように言葉が止まらない。
「だって私、パパにとって娘じゃないんでしょ!? だったらっ……、ならそんなに息が上がるまで捜さなくていいじゃない!」
(どうして私を捜すの? これ以上優しいふりしないで!)
「パパなんて……っ!? んんっ!!」
言葉半ばでパパの胸に引き寄せられ、キスで唇を塞がれる。
(どうして……?)
カシャリッ…とブランコの鎖が鈍い金属音を立て、鎖を持つ手に力が入らずに外れた。
抗う気力が失せた頃、名残惜しげに唇が離れる。
見つめ合ったまま、パパが言った。
「花白ちゃんは、僕にとって娘じゃないよ」
その言葉が辛くて、パパを見ていられない。
パパから離れたいのに、しっかりと抱き締められたままではそれも叶わなくて。
私はパパの胸に手を当てて、押し退けようとした。
だけど・・・…
「花白ちゃんは、僕にとって一人の女の子だから」
パパの言葉によって、その手も止まってしまう。
「嘘……」
(それって、まさか……)
「嘘じゃない。花白ちゃんが好きだよ。でなきゃ、いくら僕だって娘だと思ってたら酔ってるフリしてキスなんてしないよ」
(酔ってるフリ? どう言うこと? それって……)
「なっ! なっ……!」
いきなりの告白に驚きすぎて、上手く言葉が出ない。
パパは少し恥ずかしそうに、話を続けた。
「最初は、本当に娘のように思ってたよ。百合さんが亡くなって、凄く悲しかった。仕事も手につかない程にね」
確かにあの頃のパパは、抜け殻のようだった。
様子を見に来る綾瀬さんの言葉にも反応しなくて、そんなパパを見ていられなかった。パパまでどこかに行ってしまいそうな気がして怖かった。
だからずっと、パパの隣に座っていた。一言も喋らず、ただ寄り添うように。
「でも、花白ちゃんはいつも僕の隣に居てくれたでしょう? 花白ちゃんが居るから、僕は頑張れたんだよ」
「……パパ」
(無駄じゃなかった……)
ママのお葬式から一週間後経ったあの日、朝目覚めると部屋に一人きりで不安だった。
でも、リビングに行くとパパは朝食を作っていて、『おはよう。花白ちゃん』って、大好きな笑顔で言ってくれた。
「気付いたら、恋愛対象として見てた。だけど百合さんに申し訳なくて。 酔った時、介抱してくれる花白ちゃんを見て、夢を見ていると思ったんだ。だからキスをした」
少し目を逸らしながら、私とキスする夢を何回か見たのだと告げられた。
「でもそれは本物で、焦って百合さんの名前を呼ぶことで誤魔化してしまった。キスしたことも、酔って忘れたことにして……」
(パパはズルイ。私はパパとキスをする度に辛かったのに……)
気が付けば、涙を流しながらパパを責めていた。
「ズルイ……。私、初めて会った時からパパを男性として好きだったのに。なのにママの名前呼ぶなんて……」
身代わりだと思っていた。パパはママのものだから。
だから、この恋は決して叶わないと思っていた。
「ごめんね」
優しい、パパの言葉。
それでも、どんなに望んでも私達は結ばれることはないけれど……
「ママよりも早く出会えれば良かった。そうすれば……」
そうすれば、一緒になれたのに。
「いや、流石に小学生は対象外だよ」
パパはこんな時でも冷静で、何だか悔しくてパパの胸板を叩く。
「花白ちゃん……、痛いよ。それに、僕と花白ちゃんは義理の親子でもないんだよ」
パパの言葉に、一瞬耳を疑った。
「はい?」
「親戚の方達にも、別に言う必要が無いから言ってないんだけど、百合さんとは婚姻してないんだよ」
(婚姻、してない?)
「婚姻しなきゃ結婚出来ないじゃない!」
(そんなの小学生だって知ってるよ!)
意味が分からず、パパを見つめる。
「いわゆる“事実婚”ってやつだよ。百合さんが、再婚で急に姓が変わると花白ちゃんが困るからって。花白ちゃんが高校を卒業するまでは婚姻届けを出さないって決めたんだよ」
「それに、堤 花白と堤 百合って名前の響きが嫌だったとも言ってたよ。百合さんらしいでしょ?」っと、言葉が続けられる。
(本当……、ママらしい)
このブランコでのことを思い出す。
結婚話で笑い合った後――
『英君? 言っとおくけど、花白のことが一番好きなのはあたしだからね! 花白も本当はあたしのことが一番好きなの。さっきのは英君を気遣っただけなのよ。だから勘違いしないでよね!』
と、真剣な顔でパパに詰め寄っていた。
「愛されてるね。花白ちゃん」
ブランコを眺めながら、パパが言った。
パパもあの日のことを思い出しているのかもしれない。
「これからは僕が、花白ちゃんを一番に好きだから」
誓うように、手の甲に口づけられる。
涙が溢れないように堪えるのが精一杯で、私には小さく「はい」と答えることしか出来なかった。
*END*
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