『娘じゃない』



「よし!」

 珈琲を煎れ、フレッシュとシュガーをトレイに乗せる。
 お茶請けにパパお手製のアールグレイ入りパウンドケーキを添える。

(パパにパパ自身で作ったお菓子を出すのって、何か微妙……? んー、まぁ良いよね。綾瀬さんはお客さんだし)

 珈琲を零さないように注意しながらトレイを持ち、パパの書斎へと向かう。
 パパの書斎は二階。パパの寝室の隣にある。
 いつでも仕事を切り上げて眠れるようにと、ママが和室の部屋を改装して書斎を作ったのだ。

「あっ……!」

 書斎の前まで来ると、両手が塞がっていて扉を開けることが出来ないことに気付く。

(仕方ない。仕事の邪魔しちゃうけど、開けて貰おう)

「パ……」

『先生、花白ちゃんて……』

 パパに声をかけようとしたけれど、書斎の中から聞こえて来た話声に私は言葉を飲み込んだ。

(綾瀬さん今、『花白』って言った? 私の話をしてるの?)

 いけないことだと分かっていながら、私はドアに耳を近付ける。

(だって、声をかけるタイミング逃しちゃったし、少しだけなら、良いよね……?)

『私びっくりしちゃいましたよ。ちょっと見ないうちに綺麗になってて』

(やっぱり、私の話だ)

 綾瀬さんは声のトーンが高いから、よく聞こえる。パパの声は低くてあまり聞こえて来ない。
 私なんて童顔で身長も百五十五センチしかないし。
 少しでも大人っぽくなりたくて、高校生になってからはメイクをしたり伸ばした髪を巻いたりした。
 服だって子どもっぽい服から大人っぽい服に替えた。
 パパに見て欲しくて。いつまでも子どもじゃないよって。気付いて欲しかった。

(パパは、私をどう思ってくれてるのかな?)

 パパがどんな返事をするのかドキドキしながら待つ。

 『花白ちゃんは、娘じゃないですよ』

(―――え?)

 一瞬、思いきり頭を殴られたような衝撃が走った。

(娘……じゃ、ない?)

 確かに私は、ママの連れ子だから正式にはパパの娘じゃない。だけど、ママと結婚して、私のパパになってくれたんじゃないの?

 『今日から僕が、花白ちゃんのパパになってもいいですか?』

 そう、あの日パパは言ってくれた。

(なのに……。私、パパに認められてないの……?)

 辿り着いた答えに、身体が震える。

(ヤダ……、考えたくない)

 トレイを持つ手が震える。
 力が入らなくなり、今度は無意識にトレイから手が離れた。そして、支えを失ったトレイは重力に従ってゆっくりとフローリングに向かって落ちて行く。
 速度的には、ほんの一瞬の出来事。だけど、今の私にはスローモーションで見えた。
 ガシャン…と、陶器の砕ける大きな音が辺りに響く。
 割れた食器や珈琲が、壁や床に飛び散った。けれど、その耳障りな音さえ私にはどこか遠くから聞こえて来るような気がした。

「花白ちゃん!?」

 物音で書斎の扉が開かれ、パパと綾瀬さんが出て来た。
 パパは私の顔を見ると、一瞬「しまった」という顔をして視線を逸らした。
 それだけでもう、十分だった。

「花白ちゃん!」

 気付けば、パパ達に背を向けて廊下を走り出していた。
 パパの声が聞こえたけれど、私は聞こえないふりをして一階まで降りて玄関のドアノブを回した。
 今はパパの顔も、綾瀬さんも見たくなかった。

 ドアを開いた向こうの空には、私の心とは相反して、綺麗な青空が広がっていた――



*END*



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