『親密な二人』



 朝、いつもの様に階下へ降りていくと、煎れたての珈琲の香りがした。

「おはよう、花白ちゃん。日曜日なのに早いね」

 昨夜のことが嘘のように、話し掛けてくるパパ。
 パパはお酒を飲むと記憶が飛ぶらしく、キスした時のことを覚えていない。
 最初の頃はとても驚いたけれど、キスのことを言ってパパの態度が変わってしまうのが怖くて、黙っていることにしてる。

「おはよう、パパ。パパも昨夜は帰って来るの遅かったのに、身体は大丈夫?」

「大丈夫だよ。昨日はごめんね。また、運んでくれたんだよね?」

(……やっぱり今回も覚えてないみたい)

 パパが覚えていないことは嬉しいことの筈なのに、何故だか切なくなる。
 席に着くと、手早くテーブルに朝食が並べられる。
 今朝はバターロールとくるみパン、サラダに野菜スープ。湯気を立てるオムレツの香りが食欲をそそる。

「うん。パパが非協力的で服を脱がすのが大変だった」

 パパ手作りのマーマレードジャムをちぎったパンに塗りながら、多少の意地悪を込めて返す。

(……実際にはそんなに苦労はしてないんだけどね)

「ごめんね。花白ちゃん」

 もの凄く申し訳なさそうな顔で、パパが謝ってくる。まるで、小さな子どもが母親に怒られる時みたいに。

(って言うか、これじゃ私が悪いみたいじゃない?)

「イヤ……、あのね? 実はそんな苦労してないんだよ!?」

 パパの悲しげな顔に耐えられず、慌てて訂正する。それでも、向かいに座るパパの眉は困ったように寄ったままで……

「花白ちゃ……」

 やっとパパが口を開いてくれたけれど、言葉半ばで廊下をバタバタと掛けて来る足音に掻き消される。

「せーんーせー!」

 大声と共に、リビングのドアが今までにないぐらい大きな音を立てて開かれた。

「……綾瀬さん。朝来る時は事前に連絡して下さいといつも言っていますよね? こちらにも都合があります」

 大きな声と足音を立ててやって来た綾瀬さんに、パパの発した言葉。

(イヤイヤ、ツッコムところはソコなの!?)

「イヤですわ、先生。事前に電話したらトンズラする作家さんもいらっしゃるんですから、そんなこと私がするわけないじゃないですか」

 嫌な思い出でもあるのか、綾瀬さんが顔をしかめて力説する。

(編集者って、大変そう……)

「僕は一度も逃げてませんから」

 慣れているのか、それを軽く受け流すパパ。

(この人達って……)

「で、今朝はどうされたんです? その紙袋を届けに来て下さったんですか?」

 綾瀬さんが手に持っている重たそうな紙袋に目をやりながら、パパが問う。

「あ、そうそう。そうなんですよ。新刊の見本が出来ましたのでお持ちしました。それと、こちらが頼まれていた資料です」

 綾瀬さんは紙袋の中から厚みのあるハードカバー本を一冊取り出してパパに差し出した。

「今回のはやはり厚みがありますね。でも、それでいて重みが少ない」

「はい。紙を軽い物に変えたので、重さは従来よりも軽量です。先生の読者には女性や学生も多いですから」

 パパの指摘に的確に答える綾瀬さん。
 やっぱりどこから見ても二人は美形同士でお似合い。

(ヤだな、仕事の話してるだけなのに。私って凄く心狭い)

「で、昨日追加で言われた資料についてと先生の進行状況についてですが……」

「その話は書斎でしましょう」

 これから本格的に仕事の話をするのか、パパが場所を変えるように促した。

(私が居ると邪魔だって分かってるけど、少し寂しい……)

「花白ちゃん、ごめんね。十時には打ち合わせ終るから」

 申し訳なさそうに、パパに声をかけられる。

 やっぱり、パパは優しい。いつでも私を気にかけてくれる。

「うん。後でお茶を持って行くね」

 リビングを後にする二人の背中を見送る。 
 綾瀬さんが私の居る時間帯に来るのは、まだ数えられるぐらいしかない。いつも来るのは平日の昼間で、それは私が学校に行ってる時。

(普段は気にならないけれど、あの書斎にいつも二人きりなんだよね? 駄目だな……、蓮ちゃんの言葉が頭から離れない)

 『恋人が出来たらどうするの?』

(もし、綾瀬さんがパパの恋人になったら……)

 導き出される答えが怖くて、私は考えを払拭するように珈琲を煎れる準備を始めた。



*END*



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