「第四話 嵐の夜」(1)



 嵐の夜は嫌い。
 強い雨も荒れ狂う風も、まるで全てを呑み込んでしまうようだから―――

「また、激しくなったみたい……」

 夕方から降り出した雨は、時間が経つ毎に激しさを増して行くばかり。
 窓を打ち付ける大きな雨音が怖くて、食事が済むと直ぐに部屋に戻った。

 湯船に湯を張り、ローズの香りのする入浴剤を入れる。
 薄っすらとピンク色がかった乳白色の湯に身体を浸せば、甘い薔薇の香りに包まれる。

「ふぅ……」

 息を吐いて瞳を閉じれば、嵐の音も何処か遠いもののような気がする。

(今日も、珀明さん遅いのかしら……)

 この嵐では、今日はもう帰って来られないのかもしれない。

(この嵐のように、どこまでも冷たい人……)

 たまに見せる優しさも、きっと全ては気紛れ。
 期待すれば、珀明の冷たい言葉に胸を抉られてしまう。

(だから……、信じてはいけないの)

 それなのにどうして、目を閉じていると珀明のことばかり考えてしまうのだろう。
 奏は思考を断ち切るように、瞳を開けた。しかし―――

「えっ?」

 瞳を開けた筈なのに、視界は瞳を閉じていた時と同じように闇に包まれていた。

(停電?)

 闇に包まれたように真っ暗な浴室。
 小さな窓からは未だ激しい雨音と稲光が鳴り響いていた。

「雷……」

 暗闇の中、嵐の音と浴室の水音だけが響き渡る。
 雨音も、風の音も平気。しかし、雷だけは幼い頃から苦手だった。稲光も、ゴロゴロと鳴る空も怖くて堪らない。
 こんな日はいつも雷が治まるのをベッドの中で待っていた。小さな身体を丸くして、手で耳を塞いで。
 浴室は音が響きやすく、雷の音が大きく聞こえる。

「きゃっ!」

 また外で稲光がして、暗い浴室が一瞬淡く光った。奏は口元まで湯船に浸かり、両手で肩を掻き抱いた。
 その時、浴室の扉の向こうに淡い明かりが見えた。

(葉月……さん?)

 屋敷の誰かが、様子を見に来てくれたのかもしれない。
 間もなく、浴室の扉が開かれた。

「珀、明さん?」

 そこに居たのは葉月でもメイドでもなく、屋敷の主・珀明だった   
 ランタンを持った珀明は服を着たまま浴室に入り、明かりで奏を照らした。

「近くの電線が切れたらしい。業者には急がせているが、復旧には時間がかかるようだ」

 ランタンの淡い光りに、珀明のシルエットが浮かび上がる。

「分かりました」

 用件を言い終えたにも関わらず、珀明は浴室から去ることなく浴槽の縁に腰掛けた。

「スーツ、濡れちゃいますよ」

 オーダーメイドのスーツを着こなす男は、奏の言葉に小さく首を振った。

「今更だ。この嵐だからな」

「え? でも……」

 いつもの様に玄関前に車を横付けさせたのではないのだろうか。奏の言いたいことが伝わったのか、珀明が言葉を続けた。

「門はセキュリティー上、自動操作だ。停電になれば使えないからな、歩いた」

(歩いたって……)

「風邪引いちゃいますから、早く着替えて下さい」

 珀明を押し退けるように身体に触れると、水気を含んだスーツはとても冷たかった。

「……冷たい。どうして……」

(帰ってきてから、着替えもせずにここに来るなんて……)

「何故お前が私を心配する。風邪でも引けば、その間私に抱かれなくて嬉しくないのか?」

 淡々とした口調で珀明が言った。まるで、奏が心配するのが滑稽だと言うかのように……

「どうしてですか?」

 抱かれたくなんてない。けれど、体調を崩せばいいと思ったことは一度として無かった。 ただ、そう思われていたことが悔しくて、悲しかった。

「こんな扱いを受けているのに。本当にお前はお人好しだな」

 ランタンの明かりの中、珀明はスーツの上着を脱ぎ捨て、奏の顎に指をかけて唇にキスを落とした。
 その唇は冷たく、じんわりと唇の熱が珀明に伝わっていくのを感じた。

「あ……んっ、はんっ……」

 深く舌を絡ませながら、珀明のシャツを握り締める。素肌に濡れたシャツが触れ、冷たさに身体が小さく震えた。

「ん、ん……」

 上顎を舐められ、舌が痺れる程吸い上げられる。その間に珀明は濡れた服を脱ぎ捨てた。



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