「第二話 籠の鳥」(1)
一等地の一角に、倉橋一族の本家がある。
広大な土地に日本庭園を有し、その敷地内に建てられている昔ながらの日本家屋。
本館と離れとの間の渡り廊下から見える中庭には、鯉を放した池もある。
本館から少し離れた場所に建てられている別館は、隣に建つ日本家屋とは趣の異なる洋館が建っている。
そこが、奏と珀明の新居だ。
「お早うございます、奏様。本日のお召し物は如何なされますか?」
いつもと同じ時間に部屋にやって来たメイドは、ネグリジェ姿でベッドの上に座る奏に、向かいにある猫脚の白いクローゼットを開きながら尋ねた。
「どれでも構いません。外に出ることは出来ないのですから」
毎日のように繰り返される同じ会話。奏がメイドに洋服を指定したことは一度も無かった。
館に連れて来られてから二週間、見事な薔薇が咲き誇る庭にさえ、一歩も出ることは許されていない。
まるで、籠の中の鳥―――
多少の毒を含ませて言った奏の言葉をメイドが気にした様子はない。表情一つ変えないのはそう教育されているからなのか、ただの子どもの我が儘だと思われているからなのか奏には分からなかった。
メイドはクローゼットの中から白地で胸元と裾に花の刺繍をあしらったワンピースとレース編みの黒いショール、リボンの付いたピンク色のミュールを取り出した。
奏に与えられた部屋には白を基調としたアンティーク家具が置かれ、洋服からイヤリング等のアクセサリー類に至るまで調えられていた。
初めてこの部屋に案内された時には既に今の家具が配置されており、クローゼットや鏡台にはタグの付いた洋服やアクセサリー、未開封の化粧品が綺麗に仕舞われている。
(これもあの人の趣味なのかしら……)
「珀明さんは、まだ屋敷に?」
着替えを手伝って貰いながら、奏は珀明のことを尋ねた。
「いいえ、主(あるじ)様は出社なされました。奏様は、屋敷の中で過ごされるように、と」
メイドの言葉に、奏はホッと安堵の溜め息を吐く。
(良かった……)
昨日は珀明の仕事が休みで、一日中抱かれ続けていたからだ。
昨日の行為を思い出すと、身体の奥が熱く震える。
「そうですか、分かりました」
メイドに笑顔で返し、連れ添って食堂へと向かった。
朝食を済ませ、ニ階のバルコニーで読書をしていた。外にいる気分が味わえるバルコニーは奏のお気に入りの場所だ。
本を半分ほど読み終わったところで、執事が紅茶を運んで来る。
「奏様。十時のお茶でございます」
ワゴンの上にはティーポットやティーカップ、お茶受けのスコーン、サワークリームとジャムが入った瓶などが乗せられている。
モノクルの眼鏡をかけ、執事服に身を包んだ優しい面差しをした五十代の紳士。名を、葉月(はづき)と言う。
屋敷では三回の食事の他に、ニ回お茶の時間がある。主が不在でも、品よく飾りつけられた料理はとても綺麗だ。
(私一人の為に、シェフの手を煩わせていいのかしら……?)
屋敷に来てから、外出できないことと珀明に抱かれること以外、不自由なことは一つも無かった。
ティーカップに注がれた紅茶を一口飲む。
「今日はセイロンなのですね」
「はい。奏様。珀明様より先程ご連絡がございました。本日言霊をお願いしたいとのことでございます」
(言霊……)
「はい、分かりました」
倉橋一族には、稀に言霊の力を持つ者が産まれる。その者は“奏”と呼ばれ、一族に繁栄をもたらすと言われている。
奏が願いを言霊にすれば、発した言葉に魂が宿り現実のものとなる。但し、不治の病や亡くなった人を甦らせることは出来ない。
望みが大きければ大きい程、気力を酷使する。故に過労で命を落としてしまうのだ。
『ミャー………ミャー……』
「え―――?」
風に乗って、どこからか動物の鳴き声が聞こえて来る。
「猫……の鳴き声のようですね。どこからか迷い込んだのでしょう」
席を立ちバルコニーから庭を眺めると、直ぐ傍の木の枝に子猫の姿が見えた。
「どうしてあんな高い場所に……」
黒い毛並みをした子猫は、細い木の枝の上でか細く鳴きながら、青い瞳を揺らしていた。
「この位置からでは、距離があって助けられません。庭師を呼びましょう」
葉月はそう言うと、足早にバルコニーを出て行った。
(目で姿が見える距離なのに、手が届かないなんて……)
子猫が動く度に、パキパキという音を立て枝が揺れる。
下では葉月が呼んだ庭師が梯子を運んで来ているところだった。
(駄目……、間に合わない)
奏はゆっくりと想いを込め、子猫に向かって手を開いて囁く。
『動かないで。こちらへいらっしゃい』
すると子猫は、次の瞬間枝からジャンプした。ポスンッと黒い固まりが腕の中へ落ちてくる。
「ミャー、ミャー」
子猫は腕の中で無事を知らせるように鳴いた。
「……良かった」
「今のが言霊か。さすが“奏”だな」
背後から突然掛けられた声に、奏はビクリと身体を震わせた。
恐る恐る振り返ると 今朝出社した筈の珀明が立っていた。
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