「プロローグ」



 倉橋(くらはし)の分家である我が家に、父が会社のお金を横領していたと本家の遣いが来たのは一ヶ月前。
 信頼していた父の不祥事に、母だけでなく娘である奏も直ぐには信じることが出来なかった。けれど母の隣に座る蒼白な顔をした父の姿を見て、事実なのだと理解することが出来た。
 遣いの男は、父が一族当主の指定する条件を一つ呑めば、この事を不問にすると言っていることを伝えた。
 その条件とは、娘である奏(かなで)が当主の『花嫁』になることだった。
 このままでは格式高い旧華族の倉橋一族中に噂が広まり、つま弾きされてしまう。それだけは絶対に避けなければならないことだった。
 例え、現当主が陰で『死神』と呼ばれる冷酷な男だとしても、もう奏達家族に選択権は残されていなかった。家族と家を守る為、奏は当主・倉橋珀明(くらはし はくめい)の花嫁となることを決めた。

 教会の中には、大勢の参列者と神父。そして、神父に向き合う純白の衣装を着た男女の姿があった。
 室内は賛美歌と、聖書を片手に持つ神父の声だけが静かに響いている。

「新婦よ、永遠の愛を誓いますか?」

 ―――それは、神様への約束。

(……誓いません)

 そう、奏は即座に心の中で答える。けれど心の中で答えた言葉とは裏腹に、口から紡がれる誓いの言葉。

「誓います」

 本来、結婚式は女性にとって人生で一番幸せなイベント―――
 奏にとっては、僅か十六年間の人生の中で二番目に不幸なイベントとなった。
 きっとこれは、これからの不幸な人生の始まりに過ぎないのだろう。
 今直ぐにでも逃げ出したい奏の心中を余所に、式は進んで行く。

「それでは、誓いの口づけを」

「っ……!?」

 覚悟を決めてこの日を迎えた筈なのに、神父の言葉に覚悟が鈍り俯いてしまう。
 神様の前で、嘘をつく大罪。

(愛してもいない相手に永遠の愛を誓い、神様の前で誓いのキスをするなんて……)

(決めたのに……)

 ぎゅっと瞳を閉じて耐えていると、珀明の手がゆっくりとベールを持ち上げた。

(顔を上げて応えなければ……)

 頭では分かっていても、なかなか顔を上げることが出来ない。
 きっと珀明は笑っているだろう。自分よりも一回りも年下の子どもの心中など、全てお見通しの筈だから。

『私に永遠の愛など誓えないと誓えばいい』

 式の前、控え室で言われた珀明の言葉。

(貴方がそう言うのならば誓いましょう)

 ―――『貴方を永遠に愛せない』と。

 互いの顔が近くなり、奏も珀明も瞳を開けたまま、唇が重なる。

 ―――瞳を逸らしたら負けだと思った。

 長くも短くもない誓いのキスが済むと、祝福の拍手が贈られた。
 その拍手も薬指に嵌められた指輪すら、奏には息苦しいものでしかなかった―――



「プロローグ」終


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