『好きだからこそ』(3)



「生憎と私には心当たりが無いのだが? 私がお前に何をしたと言うんだ」

「言いたくありません! 珀明さんにとって、あれは大したことでは無いんですね! もう放っておいて下さい! 珀明さんなんて大嫌いです!」

「――――っ!?」


(『大嫌い』だと?)


 訳の分からない事を言う奏に、ここ数日溜まっていたイライラがついに爆発した。
 予め準備していたマスターキーを機械に通し、ドアを乱暴に開けた。


「――――!!」


 まさか開けられるとは思っていなかったのだろう。突然入って来た珀明を見て奏は声にならない悲鳴を上げた。
 部屋の中央で佇む奏の腕を掴み、無言でベッドへと引きずって行く。
 奏が何かを言っていたが、怒りの深度が最高潮に達していた珀明の耳には届かなかった。
 
 ベッドに押し倒し、怯えた目で自分を見上げる奏に舌打ちし、怒りをぶつけるように赤く熟れた唇を貪った。


「や……! んぅ!!」


 抵抗する身体を己の体重をかけることで封じ、両手首も動かせ無いようにネクタイで縛る。
 歯列を割り、奥で縮こまっている舌を引きずり出しキツく吸い上げる。数日ぶりに触れる、柔らかな唇と甘い舌。


「やっ、ふぅ、んん……!! ぁふっ」


 珀明は唇の角度を変え、その柔らかな唇と口内を味わった。
 潤んだ漆黒の瞳。赤い唇。息をつめ、身体を硬くして珀明の唇を受け入れていた奏が睫毛を伏せた。

 その拍子に目尻から流れる一筋の涙―――

 声も無く涙を流す奏に、珀明は奥歯を噛んだ。一方的に責められ、拒まれたのは自分である筈なのに、何故奏が涙を流すのだろうか。


「何故お前が泣く」


(泣きたいのは私の方だ……)


 気が削がれ、手首を戒めていたネクタイをほどいてやる。
 さほど強く縛ったつもりは無かったが、抵抗している内に締まったのか手首には薄く赤い跡がついている。
 痛々しいその赤い跡は、珀明の罪悪感を刺激する。


「……っ……ふっ…、グスッ……」

「私が何をしたのか教えてくれないか?」


 これ以上無い程優しく奏を抱き締め、サラリと手触りの良い髪を撫でながら額に口付けを落とす。


「…………、てました」

「何だ?」

「珀明さん……、女の子とキスしてました。私よりも年下のようでしたが、あの方がお好きなのですか?」

「――キス? 私が?」


(私が瑪瑙以外の女とキスを?)


 寝耳に水とはこのことを言うのだろうか。珀明自身、今まで女の影が無かったとは言わないが、それはどれも所謂大人の割り切った関係だけだ。
 ましてや結婚してからは奏以外の女を抱いていない。奏以外欲しいとは思わない、キスなどするはずが無い。


「それはいつの話だ?」

「いつ? ほんの数日前のことを覚えていらっしゃらないのですか!? 私に部屋を出るなと仰ったのは、あの女性と居るのを邪魔されたくなかったからですか!?」

「瑪瑙っ!!」


 言っている内に興奮して来たのだろう、奏が再び腕の中で暴れ出した。


「嫌、です……。放して下さ……ぅっ、ぅ……ひっく……」


 はらはらと涙を溢し、しゃくり上げる凌の身体を強く抱き締める。


「……泣くな」


(お前に泣かれると、どうすればいいか分からない)


 奏が言う、年下の女とキスした記憶は珀明には無い。
 しかしあの日、女の客が来ていたことは事実だ。だが奏の言うようなことは何一つしていない。
 珀明には心当たりは無いが、かと言って奏が嘘を吐いているとも考え難い。となると、何かを見て珀明がキスをしていると勘違いしたと言うことになる。


「私はお前を裏切るようなことはしていない。お前は私が信じられないのか? 何を見て私がキスをしていると思ったんだ?」

「ふっ……ぅ、信じて無いわけ、じゃないんです…ひっ。でもっ……、でもっ! 女性が……っ、お帰りになる時、ホールでお話されてました。その時、珀明さんが身体を屈めて女性にキ、キス……」


 確かに、ホールで客と立ち話をしていた。その時、身体を屈めたことも事実だ。
 しかし―――


(あの時は……)


「待て。お前はそれを何処から見ていた? キスをしたところをきちんと見たのか?」

「……にっ、二階の階段からです……」


 瞬時に階段とその場所から見えるあの時の立ち位置を思い浮かべ、珀明は内心苦笑した。


(あの場所からは私の背中しか見えないはずだが……)


「私がキスをするところをハッキリと見たのか?」

「え……? だって……、あっ……背中……」


 あの場面を必死に思い出そうとしているのか、眉間に僅かに皺が寄せられている。睫毛に付いた涙の雫がふるりと震える。


「『背中しか見えなかった』だろう? 身体を屈めたのは本当だ。あの女の髪が私のシャツのボタンに引っ掛かってしまったのを取る為にな」

「んっ……!」


 涙の雫を吸うように目尻に唇を寄せれば、奏は身体をビクリと震えさせた。


「更に言うならあいつはお前より年下どころか十二歳も年上だ。私と同い年だからな。名前は氷済堕希(ひょうずみ だき)。既婚者で既に四歳になる双子の子どもが居る」

「嘘ですっ!! だって……、見えません」


(まぁ、疑うのも無理も無いか……)



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