『好きだからこそ』(2)



 別館には梅の木が植えられている。春告げの花である梅は珀明の父親が好んでいた花だ。
 別館が完成した折、彼の妻が祝いの品として贈ったものだと言う。
 梅の花言葉は『高貴』『高潔』。
 奏は珀明の父親と実際に会った事は無いが、写真で見た彼は珀明よりも幾分柔らかな雰囲気を纏っていた。
 家族写真だからか、その眼差しには優しさが見え、凛としたその姿には梅の花言葉がとても良く似合う。


(珀明さんもお付き合いして下さるかしら……)


 庭師が手入れをして綺麗に咲かせた梅の花を、珀明と見たいと思う。
 休日でも屋敷の中で仕事をしている珀明は、庭に植えられた梅の花が咲いたことに気付いているだろうか―――


(珀明さんと初めてのお花見……)


 珀明との花見を想像し、奏は我知らず口元に笑みを浮かべた。


(話し声……?)


 階下へと繋がる階段に差し掛かると、エントランスの方から小さな声が聞こえて来る。
 階段から下を覗くと、珀明と誰かが立ち話をしている姿が見えた。


(あの方が、お客様?)


 珀明と向かい合っている女性は奏よりも身長は低く、顔にもまだ幼さが残っており、“女性”と言う言葉よりも“少女”と言う言葉の方が似合っていた。
 年齢も奏と同じぐらいか、少し上に見える。

 一番初めに目を惹くのは、綺麗な金色の髮。
 染めた物では無く天然と思われるその髮は女性の腰ほどまで有り、綺麗なウェーブを描いている。
 肌はビスクドールを彷彿とさせる程白く、睫毛も瞬きをすれば音がしそうな程に長い。
 熟れた果実を思わせる赤い唇。淡いピンク色のワンピースと薄い水色の上着を可憐に着こなす姿は、まさに上流階級のお嬢様だ。


(綺麗な人……)


 遠目からでも整った容姿をしている少女と珀明は、奏の目から見てもとてもお似合いのカップルに見える。
 珀明は背を向けている為、奏側から珀明の顔を見ることは出来ないが、少女が何事かを言うと上手く聞き取れなかったのか少し身体を屈める仕草をしていた。


(誰……?)


 仲の良さそうな二人を見て、奏は複雑な心境になった。

 少女が珀明の言葉にはにかむ度、なぜか胸の奥が鈍く痛む。
 少女と居る珀明を見ていたく無い。早く少女と離れて欲しい。

 珀明が誰かと一緒に居て、奏がこんな風に思うのは初めてのことだった。
 これまで珀明がメイドと話している所を見て嫌だと思ったことも、胸が痛んだことは一度も無かった。


(私……、嫉妬してる?)


 初めての感情に、ギュッと胸元を握り締める。

 珀明は自分が受け入れた者以外には関心が無い。
 誰かの為に、自分以外の者に僅かにでも身体を屈める姿を奏は見たことが無かった。
 つまり、あの少女は珀明が“受け入れた”人物なのだ。

 仲の良さそうな姿を見ていられず、奏は視線を逸らした。


(……どうしよう)


 お茶を貰いに行くには珀明たちの前を通らなければならない。
 一度部屋に戻ろうかと廊下を戻りかけた瞬間、視界の隅で有り得ないことが起こった。


「――――っ!!」


 珀明が少女に覆い被さるように動いたのだ。
 奏からは珀明の背中しか見えないが、何をしているのかは明白だった。


(うそ……、キスを……?)


 心の中で否定しても、二人がキスをしているようにしか見えなかった。
 急に、手足が冷えて行くような錯覚が奏を襲う。ポットを持っている手が震え、蓋がカタカタと音を立てた。
 奏は溢れてくる感情を押さえ込むように、ポットを両手でギュッと持ち自室へと戻って行った。



***



 奏が部屋に閉じ籠ってから3日が経ち、屋敷内には不穏な空気が漂っていた。
 その空気の原因である珀明の機嫌の悪さもいつ爆発しておかしく無く、使用人たちもオロオロと見守ることしか出来ないでいた。


「瑪瑙はまだ部屋から出て来ないのか」


 会社から帰宅した珀明は、イライラとした口調で葉月に問うた。


「はい。本日もお食事はお部屋で摂られております」


 言いづらそうに葉月は奏の様子を伝え、その言葉に珀明はギリッと奥歯を噛み締めた。


「何が不満だと言うんだ。勝手にしろと言ったが限度があるだろう……」


 勝手にしろと言ってから、奏は部屋に閉じ籠るようになった。
 食事も部屋で摂り、いつもなら夕食は珀明が帰って来るまで待って一緒に食べるのだが、帰って来るまでに済ませてしまうという徹底ぶりだ。


「何が気に入らないと言うんだ」


(あれは売り言葉ということばくらいわかるだろう……)


「何度もお尋ねしましたが、その度に『言いたくありません』と」


 イライラとした気持ちを抱えたまま食堂へ向かい、用意された夕食を食べた。
 奏が来るまではこの食堂で一人食事をしていたのに、奏が居ることに慣れた今はとても広く感じた。
 食事も料理人が気を利かせ好きな料理が並んでいると言うのに、口に運ぶ物はどれも砂を噛んでいるように感じる。

 夕食を済ませた珀明は、奏の部屋の前に来ていた。


「瑪瑙。いい加減に出て来い」


 ドアをノックをしても返事は無い。もう眠ってしまったかとも思ったが、ドアの向こうに気配を感じる。まだ眠ってはいないようだ。


「気配でドアの近く居ることは分かっている。何が気に入らない? いつまでも黙っていては分からないだろう」

「私が理由を言わずとも、珀明さんには心当たりがおありでしょう!?」


 三日振りに聞いた奏の声は、珀明を責める言葉だった。


「心当たり?」


(つまり私が怒りの元凶ということか……)


 奏が自分に怒っていることは分かったが、全く心当たりが無い。
 珀明の知る限り、奏の機嫌が悪くなったのは客が来た日だ。
 思いつくのは部屋から出ることを禁止したことぐらいだが、あれは奏も納得していた為違うだろう。



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