『仮装パーティー』(1)



「ハロウィンパーティーですか?」


 中庭に咲く薔薇を臨むバルコニーでお茶を飲みながら、奏は傍らに立つ葉月を見上げる。
 ナイフで切り込みを入れたスコーンに、サワークリームを塗る葉月は「そうです」と優しく頷いた。


「珀明様が当主になられてから毎年、私達使用人の為に無礼講のパーティーを開いて下さるんです。勿論シェフ達には腕を振るって頂きますが。みな衣装と仮面を付けて一夜を楽しむのですよ。中には意中の相手に想いを告げたりする者も居ますね」


 仮面を付ければ、自分は今この瞬間何者でもない。相手に自分が誰だかわからない。
 だから好きな相手に想いを伝えることも出来るのだと、葉月は続けた。


「楽しそう。珀明さんが皆の為に?」


 珀明さんの不器用な優しさに、日々気持ちが傾いていく。


「ええ。珀明様は私共使用人を大切になさって下さいますから、お仕えのし甲斐がございます」


 誇らしげな葉月の言葉に、奏の胸が暖かくなる。
 だから皆、主である珀明に応えようと励むのだろう。



***



――パーティー当日

 大広間では、屋敷の使用人達がきらびやかな衣装を身に纏い、談笑や食事を楽しんでいた。
 ハロウィンパーティーと言うだけあって、魔女の衣装やパンプキンの形をした帽子を被っている者もいる。
 奏は壁に背を預け、ソフトドリンクを飲んで眺めていた。
 視線の先には、ヴァンパイアを彷彿とさせる衣装を身に付け、仮面で目元を隠した珀明がいる。
 多くの使用人に囲まれて、談笑していた。


(……珀明さんもあの中の誰かと踊るのかしら?)


 珀明に渡された奏の衣装は、普通のパーティードレス。
 ガーベラの形をしたコサージュとリボンで胸元が飾られたクリーム色のドレスだ。
 正直、仮装パーティーには余り合っていない気がするのだが……


(珀明さんも楽しんでいるようだし、先に部屋に戻ろうかしら……)


 部屋に戻ろうと歩み出した所で、背後から声を掛けられた。


「奏様」


 振り返ると、木製の杖と黒い頭巾。鼻から上を覆う白い仮面――魔法使いの衣装に身に付けた男性の姿があった。
 珀明の秘書で、名前をレイヴンと言う。
 レイヴンは葉月の息子だ。


「お部屋に戻られるのですか?」

「ええ。何だか不似合いな気がして……」


 自分の姿を見下ろしながら言うと、レイヴンは「あぁ」と納得した様子で頷いた。


「仮装をしていない者はパーティーでむやみに話し掛けてはならないって印なんです。恋人が居るのに告白されたりダンスに誘われるのは困りますからね。御存知なかったのですか?」


 レイヴンの言葉に奏は頷いた。
 確かに、よく見れば普通のタキシードやパーティードレスを着た人の姿もちらほらと見かける。


「もうお部屋に戻られるなんて、奏様つまらなくありませんか? 使用人達と親しく話すチャンスですよ」


 レイヴンの言葉に、いつもよくしてくれる使用人達の顔が浮かぶ。
 皆ともっと仲良くなりたい。
 でも……


「仮装用の衣装なんて……」


 衣装がなければ、それは叶わない。
 まるで、舞踏会に行けないシンデレラのよう……
 奏の言葉に、レイヴンは「大丈夫です」と持っていた杖を見せた。


「今夜の私は魔法使いですよ」


 ―――魔法使いによって、今宵シンデレラに一夜限りの奇跡がもたらされる。



***



「とても良くお似合いですよ」


 あの後、別室に連れて行かれ、レイヴンから衣装の入った箱を手渡された。
 こんな時の為に、葉月さんの指示で用意していたのだと言う。
 渡された衣装は、純白のドレスに胸や腰に薔薇やリボンの飾り、背中には天使の翼がついていた。
 姿身の前に立って全体のバランスを整え、仕上げに仮面をつければ完成だ。


「有難うございます。レイヴン」

「いえいえ。では戻りましょうか」


 レイヴンはお役御免とばかりに黒頭巾を外した。
 頭巾を外せば、真っ白な軍服の衣装が現れる。
 その準備の良さに奏は目を丸くした。


(もしかして、私の為に魔法使いの衣装を?)


「有難う」


 奏はもう一度、レイヴンにお礼を言った。
 レイヴンは何を指したのか直ぐに察したらしく、にっこりと笑った。
 そして、エスコートするかのように、奏に掌を差し出した。
 奏はその手を取り、二人は広間に戻って行った。

 広間ではワルツが流れ、ダンスが始まっていた。


「ダンスが終わればパーティーもお開きです」

「レイヴンは踊りたい女性がいらっしゃったのではないのですか?」


 奏の言葉に、レイヴンは肩を竦めて溜息混じりに呟やいた。


「いいえ。彼女は居たんですが、三日前に振られたばかりなんですよ。秘書の仕事は多忙ですから、時間が合わなかったんです」


「あのままでも自然消滅必至でしたけどね」とレイヴンは寂しそうに笑った。


「じゃぁ、私と踊って下さいますか?」


(私が辛いことを思い出させてしまったから……。私では代わりにはならないだろうけど、レイヴンに元気になって欲しいから……)


「奏様はお人好しですね」


 レイヴンは苦笑し、奏の肩と腰に腕を回した。初めて人前で踊るワルツは、とても楽しかった。


「誘って頂いてなんですが、私なんかと踊っていてもいいのですか?」


 ステップを踏みながら、レイヴンに尋ねられる。


「いいんです。今日は無礼講なのでしょう?  私は、レイヴンと踊りたいんです」


 きっと、この広い広間のどこかで珀明も踊ってるだろう。


「無礼講……。まぁ、そうなんですが。それもそろそろ時間切れのようですね」


 複雑そうな顔をしたレイヴンが、ステップを踏むのを止めた。


(どうしたのかしら……? 曲はまだ中盤に差し掛かった所なのに……)


「どうし―――きゃっ!」


 どうして踊りを止めるのか、レイヴンに尋ねようとした所で、後ろから誰かに肩を強く掴まれる。


「珀明様……」


(え……?)


 横を見ると、仮面越しにも不機嫌だと分かる珀明が立っていた。


「珀明さん? あの、どうかし―――あっ!」


 奏の言葉を無視し、珀明は無言で奏の腕を引っ張って広間を出ていく。


「レイヴンっ……!」


 引き摺られながら助けを求めるように後ろを振り向けば、レイヴンが奏達に向かって手を振っていた。


「離して下さい!」


 部屋に連れて来まれ、奏は珀明に掴まれた腕を振り払った。
 珀明は仮面を外し、凍ったように暗い瞳で奏を見つめる。


「その衣装はどうした」

「これは、レイヴンが……」


 奏の答えに、珀明は苦虫を噛み潰したような顔をする。


「……余計なことを」


 そう言って珀明は奏の顔に手を伸ばし、仮面をむしり取るように外した。


(余計なって……)


 珀明の言葉に、奏の胸がズキリと傷んだ。


「その礼にでも、踊っていたのか? 随分楽しそうだったが」


 まるで、奏を責めるかのような言葉―――


(どうして怒られるの?)

「だって、珀明さんだってメイド達に囲まれて楽しそうでした! どうして私は踊ってはいけないのですか? 参加のことだって……! 私は、仮装して珀明さんと踊りたかったです!」


 屋敷の者は、当然奏が珀明の妻だと知っている。だからきっと誰もダンスに誘ったりはしなかった。

 本当は珀明と踊りたかった。でも、いくら無礼講だと言っても、メイド達に囲まれていた珀明に声を掛ける勇気はなかった。
 自分が情けなくて溢れた涙が止まらない。
 珀明は奏を抱き寄せ、宥めるように唇をキスで塞いだ。


「ふぅ……」


 優しく舌を絡められ、歯列を舐められる。
 優しいキスにはまだ慣れなくて、上手く息が出来ず顔が火照ってくる。


(珀明さんはずるい。キスだけで、モヤモヤした気持ちが静まっていくから……)


「……あぅ、……んぅ」


 力の入らなくなった奏の身体を、珀明が口づけを交わしたまま抱き上げ、ベッドへと運んだ。



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