『偽りの中の真実』



 あれから三週間―――

 優実は一度も先生……もとい、帳とは会っていなかった。
 部活もサボり、化学の授業もサボり、電話もメールもひたすら無視。
 もちろん家に来る食事の誘いも無視。

「お前最近変じゃね? あからさまにファントム無視してんじゃん」

 教室の机に突っ伏す優実に、前の席に座る雪都が飴を食べながら声をかけた。

「……別に。先生に会いたくないだけよ」

(そう。もう……、どんな顔をして会えば良いのか、分からないもの)

 あの後優実は帳に鍵を投げ付け、逃げるように自宅に帰った。
 その夜、何度もメールや電話がかかって来たが優実が出ることはなかった。
 何故、副社長である帳が教師をしているのかも、仮面を着けていたのかも、優実に隠していたのかも謎のまま。

「まぁ、ファントムと一番仲良かったお前が避けるんだから、余程のことなんだろうな。 ファントムもこれで唯一慕ってくれてた生徒を失ったわけだ」

「一方的に慕ってただけよ。案外先生にとっては、玩具みたいなものだったのかも」

 婚約者のことを愚痴ったり、「男は顔じゃない!」と力説したり。
 帳にとって、さぞ滑稽だったことだろう。
 目の前で自分の悪口を言われていたのだから――

 雪都は優実の言葉に、一瞬押し黙り、口を開いた。

「ファントムって人で遊ぶような奴じゃねえと思うぜ? あったとしても、何か理由があるんじゃないか?」

(私を騙していた理由? 例え理由を知ったとしても、私は今まで通りでいられるだろうか……。仕事に誠実な先生と、自分以外の恋人を持つことを許す、不誠実な帳さん。どちらが本当の姿なのだろう?)



***



 放課後――

 今日は部活のある日だが、ホームルームが終って直ぐに校舎を後にした。
 勿論ファントムと出会うのを避ける為だ。
 いくら用心していても、このままの状況が続くわけでも、良くなるわけでもないことは頭の隅では分かっていた。
 あと一年以上学園で一緒なのだし、卒業後には結婚するのだから。
 そんなことを考えながら、校門へと向かう。

「突然申し訳ありません。相楽優実さんですね?」

 校門から右へ曲がった所で、塀に背中を預けるように立っていたスーツ姿の男性に声をかけられた。
 誰だろうと顔を上げれば、あの日ファントムの個室から出てきた男性だった。

(確か、名前はクチナさん。その人が何故私を?)

 優実の表情を読み取った朽名は、胸ポケットから名刺を取り出し手渡した。

「私は帳様の秘書を務めております、朽 名要(かなめ)と申します。本日は帳様のことでお伺いさせて頂きました。少しお時間を頂いても宜しいでしょうか?」

 柔らかな笑みで問われる。

(帳さんのことを?)

 その表情からは、感情を読み取ることは出来なかった。むしろ逆に、朽名に表情を読まれてしまう。

「勿論これは帳様に頼まれたわけではありません。あくまで私個人の判断です」

 暫く考え、優実は口を開いた。

「……分かりました」

 朽名に促され、路肩に止まっていた車に乗り込んだ――


 連れて来られたのは、学園から程近いカフェだった。
 こじんまりとした店内はカフェと言うより、喫茶店という言葉の方がしっくりとくる。
 優実達以外に客の姿はなく、カウンターの中で三十代のマスターが新聞を読んでいた。
 朽名は紅茶を二つ注文し、紅茶が運ばれ、既に朽名から話が行っていたのか、マスターが事務所に姿を消してから口を開いた。

「まず確認させて頂きますが、優実さんは学園での帳様をご存知ですね?」

 帳がファントムだったという核心に触れないのは、優実が知らなかった時の為だろう。
 でも、優実は知ってしまった。

「……はい」

「では、正体を偽っていた帳様を許せませんか? 婚約者である優実さんを騙していたわけですから」

 どちらかと問われれば、正直許せない。
 朽名の言葉に、優実は頷いた。

「確かに、結果的には帳様は責められても仕方がありません。ですが、帳様は身元を隠す必要がありました」

(身元を……、隠す必要?)

「帳様は、学生時代から化学がお好きでした。中学時代の理科教師の影響で、いつからか帳様ご自身が、教師になりたいという夢をお持ちになりました」

 しかし、帳は父親が社長を務める会社を継がなくてはならない。
 大学時代は父親の命令で会社の仕事を手伝い、手腕を発揮した。
 だが帳は仕事を手伝う傍ら父親に内緒で教職課程を履修し、教職員採用試験に合格。
 当然それは父親にバレ、会社に呼び出されることになる。

 当時、経済誌でも日本の未来を担う若者ビジネスマンとして大きく取り上げられたこともあり、知名度の問題からも教師をやっていくのは困難だった。
 しかし、それでも諦めない帳に、父親は提示する条件を帳が呑めば、教師になることを許すと言った。

 その条件は、

 ・勤務先は父親の顔が利く聖末(セイマツ)学園であること。
 ・正体を隠して仮面を常にかけること。
 ・学園には週三日のみ勤め、残りは会社で副社長として働くこと。

 週三日ということは、六限目まで全て授業をし、テスト作りなどの雑務をこなして残り四日で会社の仕事をこなさなくてはならい。
 勿論土日も仕事で潰れる。
 父親は長く続かないと思っていたが、帳は根を上げることなく現在も続けている。


 全てを聞き終わり、優実は信じられない気持ちでいっぱいだった。
 雪都の言った通りだ。

 『ファントムって人で遊ぶような奴じゃねえと思うぜ? あったとしても、何か理由があるんじゃないか?』

 理由があったのだ。 夢を叶える為の。

「私……、なんてこと」

 説明しようとした帳を無視して。

(帳さんの内面をろくに知ろうともせず、顔が綺麗だからと嫌ってた……。私自身が最悪だ。顔も、性格も)

 自己嫌悪で落ち込む優実に、朽名は追いうちをかける。

「でも、それも今日で終りです」

 朽名の指す意味が、分からない。

「どう言うことですか?」

 嫌な予感に、胸がざわめく。

「帳様は今日で学園の教師をお辞めになります。婚約者である貴女も傷つけてしまったわけですし、今夜にも御自宅へ正式な婚約解消の連絡が行きます」

(教師を辞めて、婚約解消? じゃぁ、帳さんは教師を辞めてどうするの?)

「そんな……。じゃぁ、帳さんはどうなるんですか?」

「社長の本来の望み通り、副社長職のみを続けることになります」

(本来の副社長職だけに……? でも、それで帳さんはいいの? 教師を辞めて……)

 優実はぎゅっとスカートを握り締め、俯いた。そうしなければ、涙が溢れ落ちそうだった。

「でも今なら……、優実さんはまだ正式な婚約者です。帳様を受け入れる覚悟があるのなら、まだ間に合うかもしれません」

(まだ、間に合う? 本当に?)

 朽名の言葉に、顔を上げる。

(少しでも希望があるなら、私は……)

「すみません、失礼します」

 大きな音を立てて席を立ち、優実は荷物を持ってカフェを出て行った。勿論、帳に会いに学園へ。
 優実の居なくなった店内で、残された朽名はすっかり冷めてしまった紅茶に口をつけた。一口飲み、誰に聞かせるでもなく一人呟く。

「あまり世話をかけさせないで下さいよ。……兄さん」

「こちらをどうぞ」

 声と共に、湯気を立てる珈琲がテーブルに置かれた。
 いつの間に表に来たのか、マスターが朽名の座るテーブルまで来ていた。
 そして、優実の座っていた椅子に勝手に腰を下ろす。朽名は注意しない。

「帳は教師を辞めたのか? じゃぁ、これで店に来る生徒からファントムの噂が聞こえなくなるな」

 残念そうにそう言い、マスターは一緒に運んで来た自分用の珈琲を啜る。
 マスターの言葉に、朽名はふっと笑った。

「まさか」

 その不適な笑みに、マスターは眉を寄せる。

「お前……、いつか刺されるぞ」

 嘘か本気か、言い聞かせるようにマスターが注意する。
 朽名は気にする様子を見せず、にっこりと言い放った。

「わざわざ仕事を肩代わりしているのに、更に仕事をしなくなる兄さんが悪いんですよ」

 兄と言っても、血は半分しか繋がっていない。
 要は帳の母親の恋人との間に生まれた子どもで、相続権などはない。
 普通ならドロドロな兄弟仲だが、尊敬する兄であり上司である帳に仕えることが要には誇りだった。

「それにいい加減、婚約者に仕事しない遊び人って思われるのは、悲しいですからね」

 優実をけしかけたのは、仕事をしない帳への嫌がらせではなく、優実のことで悩む帳を心配してのこと。
 せめて、兄には好きな人と幸せになって欲しい。それが、要の本音――

「上手くいくといいな」

「わざわざ私が動いたんです。上手くいかない筈ありませんよ」

 要の言葉に、マスターは笑った。

(帳と要が不器用なのは血なのかもしれんな……)

 勝手に会社を辞め、開いたカフェにふらりと立ち寄ってくれる帳と要。
 会社から逃げ出した自分に、彼らは変わらず接してくれる。

 それがマスター…暁(あかつき)には堪らなく嬉しかった。
 だから今回、要の話に乗ったのだ。
 
 会社を離れた自分には、こんなことしか出来ないから……
 全ては、大切な義弟の為に――



*END*



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