『第ニ化学室』
放課後、化学室へ行くのが優実の楽しみ。
いろんな薬品と道具の匂いが混じり合った、独特の香り。
化学室などは薄暗いイメージがあるが、ここは最新式の実験道具が置かれている。
床をはじめ、テーブルや椅子も掃除が行き届いており、とても綺麗だ。
「相楽(さがら)さん。それをバットに直径四センチ程の大きさで、間隔をあけて流して下さい」
「はい」
名前を呼ばれた相楽優実(さがら ゆみ)は、ホットプレートで熱していたアルミホイルの中身をスプーンで掬い、バットへ流し込んだ。
綺麗な琥珀色に輝く液体は、油を敷いたバットの中へ一本の糸のように落ちていく。
手早く全てを流し込み、液体の上につまようじを置く。
「先生、もう良いですか?」
別のつまようじを使い、液体を突く。
「もう良いでしょう。ゆっくり剥がして下さい」
先生の言葉に、固まった液体をヘラを使って慎重に剥がしていく。
出来たのは、べっこう飴。砂糖と水を煮詰めるだけで出来る簡単おやつ。
小学生の理科の授業でありがちな、お菓子作りを取り入れた実験。
週三回、第ニ化学室で化学部による部活動がある。
部員は優実一人。
数ある部活動の中で、化学部は群を抜いて人気が無かった。
部活勧誘では新入生も見学に来るが、誰一人として正式入部には至らない。
部活動の内容が薄いのではなく、問題は教師側にある。
優実はべっこう飴を食べながら、隣に座り書類を見ている化学教師を見た。
身長は目算で百八十センチ以上、細身。スーツの上着の代わりに、羽織っているのは白衣。
名前は不明。
自己紹介では『ファントム』と名乗っていた。
『ファントム』の名前に相応しく、彼は顔に白い仮面を着けている。
ここまでは『オペラ座の怪人』のオタクで済まされる範囲だが、他の教師ですら彼の名前を知らないのだと言う。
素顔、声、年齢、プライベートは一切不明。そして何故か週三回しか学園に来ない。
生徒達の間では、『仮面の下には火傷がある』『不細工なので仮面を着けている』『学園に来ない日は呪術を行っている』など様々な噂がある。
どれも噂だが、今のところ「顔に火傷」と「不細工」が有力だ。
「はい。紅茶をどうぞ。ミルクが一つ、砂糖が二つですね」
べっこう飴を食べ終わるのを見計らって、先生――ファントムが紙コップを差し出してきた。
ガスバーナーと(新品の)ビーカーで沸かしたお湯で作った紅茶。
「有難う」
お礼を言って、ファントムの作ってくれた紅茶を一口飲む。
温度は熱すぎず温すぎず。
苦いものが苦手な優実は、甘めの紅茶がお気に入りだ。珈琲はカフェオレにしても飲めない。
(ん? 飲むって先生どうやって飲んでるの?)
もしや仮面を外すのではと、期待を込めてファントムを見る。
―――が。
「ぶっ!!」
ファントムを見た瞬間、驚いた拍子に器官に紅茶が入り激しく噎せた。
ファントムは仮面の鼻から下の部分をスライドさせ、紅茶を飲んでいたのだ。
しかも、外しても極力肌が見えないように口ギリギリまで仮面で覆われている。
「大丈夫ですか? 相楽さん」
わざわざ仮面を元に戻してから、背中を撫でてくれるファントム。
(それはちょっと、用心しすぎではないですか?)
「いや、便利な仮面だなって……」
「そうですか? 私は気にしたことありませんが」
(まぁ、つけてる本人は気付かないものだと思いますよ……)
誰も居ない化学室で、ファントムと過ごす時間が一番好きだ。
優実がファントムを初めて見たのは、高等部の入学式だった―――
*END*
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