『奴とキス、再び』
聖徒会と書かれた腕章と、埃避けの黒いエプロンをつけて館内を早足で歩く。
手には館内マップと分類表、そして両手一杯に抱えられるだけ抱えた返却本。
(おっもー!)
ずっしりとした本の重みが、容赦なく両腕を直撃する。
(地味な仕事に見えるけど、結構体力勝負ね。あー、この分じゃ明日は筋肉痛決定)
図書館での仕事は一見地味に見えて忙しい。
本の貸出と返却手続き、返却作業、書庫の本の出庫、利用者からレファレンスを受けたりと忙しい。
「あーっと、次は780番台だから、スポーツ・体育の棚か……。あ、ここだ」
棚に本を返しても返しても、ワゴンの中に積まれた返却本の量がなかなか減らない。
「ちょ、ちょっと休憩……」
抱えていた本を一旦床に置き、本棚に背中を預けて溜め息を吐く。
(これがあと二週間も続くのか……)
考えただけで、また深い溜め息が出る。
「すみません。レポート明けに登山に行く計画立ててるんですけど、この辺で初心者向けに書かれた本ってありますか?」
(ん?)
声のした方を見ると、女子生徒数人と和威の姿があった。
「初心者向けの登山の本ですね。ご案内致します」
(うげっ! 営業スマイル全開じゃん。あの笑顔は敵! 絶対腹ん中じゃ面倒とか思ってるに決まってるんだから!)
「んにしても登山かー。初心者向けとか細かい質問も受けるんだ……。確か、レファレンスって言うんだっけ」
生徒の質問に淀みなく答える姿を見ていると、あんな性格でも仕事が出来る男なのだと思わず感心したくなる。
「人は見かけだけではないな」
背後から突然声と共に肩を叩かれ、冴は思わずヒッ!と悲鳴を上げた。
「ひゃっ! み、充!? もー! いきなり肩叩かないでよ。びっくりするでしょ!」
「いや、一応呼んだのだが気付いていないようだったのでな。ふむ、一番人気の学校司書だな。あの女子生徒も彼狙いだろう」
和威と女子生徒の様子を眺めながら、充が興味深そうに頷いた。
(一番人気!?)
「アイツが一番人気だなんて、あんな男の一体何処が良いのかしらね。見た目派手だし失礼だし、それに、派手だし失礼だし……」
「……派手と失礼以外にないのか? だが、彼のレファレンスは的確ではある」
「え? 充知ってるの?」
「お前よりは明らかにここに来る回数は多いのだがな」
やれやれ、と充が大きな溜め息を吐いた。
「あーそーですか。すみませんねぇ!」
「何を怒っているのだ? 恐らくお前が顔を凝視されたと言う人物は彼なのだろう? 冴は理由も無く人を嫌いはしないからな」
「充……」
こんな時に思う。
充はきっと、自分達よりも視野が広いのだと。
充は嘘をつかない。言葉も飾らない。
だから時々言い草に腹が立つこともあるけど、嫌いにはなれない。
「ところで、充。聖は? 今日は一緒に書庫担当だったでしょ?」
「あぁ、書庫はあまり仕事がなくてな。聖は読みたかった館外持ち出し不可の本を見つけて、仕事の合間に読んでいるぞ」
「はぁー? それ、サボりじゃん! 平常点分ちゃんと働けっての!」
怒りでわなわなと身体が震える。
(もとはと言えば聖と充のせいなのに!)
「おっと……、そろそろ吾も作業に戻るとするか。たが冴、ここでの手伝いも二週間という限られた時間だけだ。学園には図書委員会はないから、知識を増やすチャンスではあるぞ」
そう言い置いて、片手をひらひらと振りながら充は作業に戻って行った。
(知識を増やすチャンス、か。確かに、最初で最後かもしれない)
「ようは気の持ちようってことか。え〜っと、次は剣道だから……」
気を取り直して作業の続きを行う。
分類表の書かれたメモを見ながら、棚を移動していく。
「剣道は789だぞ」
「げっ! 宮永和威! 何でアンタがここに……」
「フルネームとは新鮮だな」
昨日のことが忘れられず、笑みを浮かべる和威を警戒する。
「アンタさっきまで女子に囲まれてたんじゃなかったの?」
「もう終った。何? 焼きもち?」
(焼きもちだぁ? 馬鹿じゃないの!)
「自意識過剰よ!」
和威と一緒に居ると調子が狂う。
こう言う時は無視するにかぎる。
無視して歩き出すと、肩に手を掛けられて振り向かされる。
(――やっ! またキスされる!?)
咄嗟にぎゅっと目を瞑るが、唇に違和感は一向に表れない。
しかし別の所に違和感を感じて目を開けると、和威と目が合った。
「もしかして、キスされるとでも思った? この往来で? そっちこそ自意識過剰なんじゃないのか? 北條冴」
からかわれたことに気付き、恥ずかしくて顔が赤くなった。
(自意識過剰って……!)
「ほら、案内してやるから来い。分類は大まかな十種類を覚えておけばいいから。後は棚に本を戻していきながら覚えるんだ」
和威は迷いなく足を進めて歩き出す。
ふと、冴は自分の本を持つ手を見る。
先程まで大量にあった本の半分以上が、和威の手に渡っている。
さっき手に感じた違和感は、腕を圧迫する重みが減ったこと。
(ちょっぴりだけど、優しい所もあるんだ……)
前方の和威に目を向けると、丁度棚に剣道の本を戻したところだった。
(お礼を言わなくちゃ。本持って貰ってるし……)
「……有難う」
何となく気恥ずかしくて、下を向いて小さな声で呟いた。
「………」
(反応がない。やっぱ柄じゃなかったかな……。いや…でも、私にだって常識くらいあるし)
暫くして、上からプッと笑い含んだ声が聞こえてくる。
「どういたしまして」
今までの意地悪な声とは違う、とても穏やかな笑顔と声。
その笑顔に、胸が大きく高鳴る。
「―――っ!」
(なんで……。なんでこんな奴にドキドキするの……?)
「冴」
(え? 今、初めて名前……)
名前を呼ばれて顔を上げると、不意打ちのようにまた唇を塞がれた
(なんで…?)
閉じた唇をノックするように舌で突かれ、くすぐったくて思わず唇を薄く開けてしまう。
その隙間からぬるり…と舌が入り込み、口内をゆっくりと刺激される。
「あっ……、ふぅ……」
優しく舌を絡められ、甘い声が響く。
長くはないキスが終わり、銀色の糸を引いて唇が離された。
(なんで私、抵抗しないかったの?)
どうして、キスを受け入れてしまったのだろう。
自分でも意味が分からない。
「ちょっと! 誰か来たらどうしてくれんのよ!」
幸い、レポートとは関係の無いコーナーだったので人の姿は見当たらない。
(でも、二度もキスされるだなんて……)
「だってお前、キス期待してただろ?」
「き、期待なんかしてないわよ! 馬鹿!」
警戒はしていたが期待はしていない。
そう言いたかったが、またからかわれるのが見えているのでぐっとこらえる。
和威は冴の反応をひとしきり楽しむと、背中を向けて仕事に戻って行った。
こんな調子で後十一日も奴と一緒だなんて、考えただけで憂鬱だ。
「奴とキス、再び」終
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