『優しい嘘』英+百合(2)



 そして一時間後――

 綺麗に膨らんだシューにカスタードとホイップクリームを入れ、お皿にこんがりきつね色に揚がったクリームコロッケを盛る。

(本当はコロッケは食べる直前に揚げた方が美味しいんだけど、百合さんには期待出来ないから我慢して貰おう)

 四時を迎え、窓から見えた空は茜色に染まって来ている。昼間春の日差しとはまた違う、柔らかく暖かな日差し。

(そろそろ花白ちゃんが帰ってくる頃かな。僕の料理、気に入ってくれるといいんだけど……)

「百合さん、遅くなってすみません。夕食の準備が調いました」

 エプロンを外し、出来たてのシュークリームと新しい珈琲を手に僕はリビングへと向かう。

「料理はお皿に盛り付けてあるんで、花白ちゃんが帰って来たら出してあげて下さい」

「…………」

 百合さんはムスッとした表情のまま差し出した珈琲を受け取って一口飲み、お皿に乗ったシュークリームを口に運んだ。

(……まだ怒ってるんですね)

 僕もそれ以上何も言わずに自分用に淹れた珈琲に口をつけた。

「ねぇ英君」

「何ですか?」

「コレ、あたしが作ったことにしとくから。バラしたらどうなるか分かってるわよね? 英君」

「……百合さん、相変わらず唐突ですね」

 ジロリと睨んでくる百合さんに、僕は苦笑した。母親として良いところを見せたいのだろう。
 だけど、今日は僕にとっても良い機会だった。今日のことで僕の胸に一つの決意が生まれたのだから。

「別に構いませんよ? その代わり、僕を花白ちゃんに会わせて下さい」

 予想すらしていなかった僕の言葉に、百合さんは目を丸くした。

「な、どうしたのよ。急に……」

「急にじゃありません。今日のことで百合さんの料理の腕も分かりましたし、何より僕は花白ちゃんの食生活が心配です」

 花白ちゃんは小学生で、まだまだ成長期。
 帰宅する時間にはもう花白ちゃんは眠ってしまっているから、彼女がきちんとバランスのとれた食事をしているのか百合さんには分からない。
 「それは百合さんの方が良くご存知の筈ではないですか?」と、口には出さずに僕は百合さんの瞳を見つめることでそれを告げた。

「……っ!!」

 図星だったのだろう。百合さんは言葉を詰まらせて俯いた。その姿には、先程までの勢いはない。
 頼りなさ気な横顔。その横顔は、あの夜の百合さんを思い出させた。

「百合さん……」

 でも、それも一瞬のことだった。
 百合さんは俯いていた顔を勢いよく上げ、覚悟を決めたように口を開いた。

「言いわ。父親として紹介してあげる。英君も明日からこの家にに引っ越して来ればいいわ。ただし、“堤百合”とか“堤花白”なんて名前はダサいから、花白が高校を卒業するまで籍は入れないから」

(“堤百合”と“堤百合”がダサいって……)

「まさか、さっき真剣に悩んでたのは苗字についてですか!? それに、明日から引っ越しって、明日紹介ってどういうことですか!」

(苗字が嫌だから籍入れないなんて話、聞いたことありませんよ!?)

「うるさいわね! 名前は重要なの! 良いじゃない事実婚なんて今時珍しくないわよ! それに、英君はあたしにプロポーズ紛いの告白したでしょ! 通いの父親って変じゃない!」

 一歩も退かない、いつもの百合さん。

(さっきまでのあの儚さは一体何だったんですか……。でも、それでこそ百合さんですね)

「何笑ってんのよ! 分かったならもう帰りなさい! あの子が帰ってくるじゃないの」

「痛っ……! 叩かないで下さいよ!」

 自分でも気づかぬ内に笑ってしまっていたのか、今度は百合さんに背中を叩かれる。

「分かりましたよ。明日またご挨拶に伺います」

 その後、短いやり取りをして僕は荷物を纏めるべく、百合さんの家を後にした。
 夕焼けに浮かぶ太陽は、西に沈みつつある。もうじき、闇を纏う夜が来る。
 僕は駅に向かって歩きながら、まだ見ぬ少女に想いを馳せた。

(明日、花白ちゃんは僕を見てどう思うだろうかな……)

 受け入れて貰えるのか。受け入れて貰えないのか。

(例え簡単には受け入れて貰えなくても、僕はただ、夜空を照らす星のように百合さんと花白ちゃんの傍に寄り添っていたい――)


『こんにちは。花白ちゃん。僕は堤英って言います。今日から僕が、花白ちゃんのパパになってもいいですか?』


―――――
―――


「パパどうかしたの? 『あぁ!』って……」

「え? ううん。僕も百合さんに聞いたことあるなって……」

 嬉し気に話す花白ちゃんに、まさか自分が作りましたとは言えず曖昧に誤魔化した。

「ううん。でもね、あれ以来ママにいくら頼んでも、作ってくれなかったの。『ママがご飯を作ったら、パパの仕事が無くなっちゃうでしょう?』って」

(……僕は主夫扱いですか。別に作って頂いても構わなかったですよ、百合さん。貴女が作れたのなら)

「へぇ、僕も百合さんの料理食べてみたかったな」

「ふふ。ママ、私が言うのもアレだけどお料理下手だよ。ね、パパはカニクリームコロッケとシュークリーム作れる?」

 「懐かしくて食べたくなっちゃった」と、期待の眼差しで花白ちゃんが僕を見る。

 百合さんには都合の良いことに、僕はあれ以来一度もカニクリームコロッケとシュークリームを作っていない。
 今でも作れないことはない。でも、花白ちゃんは僕の味を百合さんの味だと記憶している。だから……

「ごめんね。僕には難しくて、上手く作れないんだ」

 僕はそう、花白ちゃんに言った。

「そっかー。パパにも苦手な料理あるんだね。でも大丈夫! コロッケとシューぐらい出来なくても。パパの料理美味しいもん」

「花白ちゃん……」

「ね、早くご飯食べよう? 冷めちゃうよ」

 花白ちゃんは一生懸命僕を励まそうとしてくれる。

(ねぇ花白ちゃん―――)

「そうだね、じゃぁ食べようか」

(百合さんに似て真っ直ぐな君は、嘘が大嫌いだったね。でも、僕が“優しい嘘”を吐くことを、君は許してくれますか―――?)



*END*



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