『日だまり』Side冬姫
この物語は、未来ものです。




 長堀冬姫の一日は、父親である信と一緒に朝食を作ることから始まる。
 キッチンでサラダに使うミニトマトをカットしていた信は、隣で真剣な顔をしてゆで卵の殻を剥いている冬姫の手元を見ながら頷いた。


「うん冬姫。卵の殻を綺麗に剥けるようになったね。次は卵をマッシャーで潰してくれるかい?」

「はーいっ!」


 信が褒めてくれたことが嬉しくて、冬姫は元気良く返事をした。


「冬姫、返事は伸ばしちゃいけないよ」

「はいっ!」


 今度は短く返事をし、信から手渡されたマッシャーを受け取った冬姫は、ボウルに入った卵をグシャグシャと潰し始めた。

 今日は日曜日で、信と母親である蓮の仕事が休みなので冬姫は朝からご機嫌だった。

 卵を潰し終え、信の指示で四人掛けのテーブルにフォークとナイフを置いていく。


「冬姫、食器やカトラリーは四人分用意してくれるかい?」

「よにんぶん?」


 冬姫は信の言葉に時計を確認した。時刻は七時半前。


(あさはやくから、おきゃくさま?)


 不思議に思いながらも、四人掛けのテーブルにカトラリーとお皿を置いていく。
 テーブルに食事が並び終わる頃、リビングの扉が開かれた。


「お早う」

「お早う、千早」


 寝まきの黒いスウェット姿で入って来たのは、長男の千早。


「にいさま! おはようございます! いついらしたんですか?」


 席に座る千早に、冬姫は嬉しそうに駆け寄った。
 二十歳近く年の離れた千早と合うのは五ヶ月ぶりだ。


「ん〜、昨夜? 違うな……、夜中の二時くらいかな」


 駆け寄って来た冬姫を抱き上げて膝の上に乗せ、千早は信の淹れてくれた珈琲を口に運びながら口にした。


「そうそう、私がやっと信さんから解放された時にやって来たのよね。おかげで寝たの三時よ」


 そう言ってリビング入って来たのは、冬姫の母親である蓮。千早にとっては義母でもあり高等部時代からの友人でもある。
 千早はその言葉を聞いて驚き、口に含んでいた珈琲を吹き出した。


「にいさま、きたないです」

「やーねー、長堀君ってば汚い」

「ゴホッ……、ゲホッ……っ。今のは俺が悪いのか!? お前が馬鹿なこと言うからだろ!」


 口元と飛び散った珈琲をお手拭きで拭い、蓮を睨む。勿論、冬姫に珈琲がかかっていないか確かめることも忘れない。


「千早、朝から大きな声を出すのはやめなさい。ほら、蓮も早く座りなさい。冬姫は千早に食べさせて貰うのかい?」

「親父まで……。朝っぱらから何のプレイだよ」


 理不尽だと思いつつも言い返さないのは、長年の経験から言っても無駄だと知っているからだ。


「冬姫、ほら食うぞ。『頂きます』しな」

「はい。いただきます」


 冬姫は千早と一緒に手を合わせ、食事を始めた。


「信さん、サラダ入れてー」

「蓮、語尾を伸ばすのはやめなさい」

「はーい」

「お前、その歳で恥ずかしくねぇの?」

「うっさいわよ、長堀君」


 久々の家族四人の食卓は、三人の時よりも賑やかだ。
 冬姫はこの一時が、家族が揃う時間が楽しみだった。


(にいさまが いると、とうさまも かあさまも たのしそう。ずっと にいさまが おうちに いてくだされば いいのに……)


 蓮が信と結婚して信の自宅に引っ越して来るのと入れ違いに、千早は蓮の住んでいたマンションに引っ越した。
 現在千早の使っていた部屋には、持って行かなかったベッドや家具がそのまま置かれており、泊まりに来る分には支障はなかった。


―――――
―――


「かあさま、かわいたときに しわになるから、ほすときは しわをのばすようにって、とうさまが……」

「えー? だって信さん伸ばすの嫌いじゃない」

「それは、おはなしするとき ではないですか?」


 食事が終わり、冬姫は蓮と一緒にニ階のベランダで洗濯物を干していた。
 いつもは時間がない為乾燥まで洗濯機で済ますのだが、休日は出来るだけ太陽の光で乾かすことにしている。


「はい、おしまい。この天気なら、午後過ぎには乾くわね」

「かあさま、このあとは なにをなさるんですか?」

「そうねぇ。掃除機は長堀君がかけたし、窓は信さんが拭いたものね。後は布団を干すだけだから、冬姫は好きにしていいわよ。手伝ってくれて有難ね」


 蓮は冬姫と目線を合わせ、「ご苦労様」と頭を撫でた。


「それじゃぁ、にいさまと あそんでも いいですか?」

「長堀君と? 今頃リビングで休憩してると思うけど、無理言っちゃ駄目よ?」

「はい!」


 その元気な声と嬉し気な表情に蓮も嬉しくなり、一階へ駆けて行く後ろ姿を微笑まし気に見送る。


(本当に冬姫はお兄ちゃん子ね。長堀君に彼女が出来たら、大変なことになるかもしれないわ。そしたら私と同い年くらいの義娘が出来るってことよね……。えー、何かそれって……)


「すっごい複雑だわ」


 今更ながらに、千早の自分に対する複雑な心境を理解する蓮だった。



***



 蓮が妄想して落ち込んでいる頃、冬姫はリビングに到着した。
 扉を開け、室内を見渡すと直ぐに探していた人物が目に入る。


(あっ! にいさま……)


 窓辺に置かれた白いL字型のソファと、天板が硝子の長方形のテーブル。
 その下に敷かれた、毛足の長いくすんだ赤色のラグの上に、白いクッションを枕にして千早は眠っている。

 開いた窓から入って来る風に、サラサラと揺れる手入れの行き届いた金色の髪。

 服はスウェットから黒いシャツと紫色のチェック柄のパンツに着替えている。


「ねむってる……」


 足音を立てないように近づき、眠る千早の隣にちょこんと座る。


(そういえば、にいさまは よなかに いらしたって……)


「ん……」


 寝心地が悪いのか、小さく呻き声を上げて寝返りを打ち、俯せから仰向けの体勢になった。
 仰向けになったことで、千早の寝顔が冬姫からよく見える。

 徹夜続きだったのか目の下には薄く隈が見え、それを見た冬姫は顔をクシャリと歪めた。


(にいさまは おつかれなのに あそんで いただこうだなんて……)


 朝は千早に会えたことが嬉しくて、目の隈にも気付くことが出来なかった。


(にいさまの おひざのうえで……、あんなにも ちかきに いたのに……)


 座っていた体勢から、今度は千早のワキの下に頭を寄せるようにして寝転がる。
 鼻先が千早の服に触れると、嗅ぎ慣れたトワレの香りがした。

 信の香りにも、蓮の香りにも似ていない、千早だけの香り。


「にいさま、ごめんなさい」


(わがままを いって、ごめんなさい)


 小さな声でそう言えば、優しく頭を撫でられる。


「にい、さま?」


 起きていたのかと千早の顔を見上げるが、その瞳は閉じられたまま。聞こえて来るのは規則正しい寝息だけ。
 どうやら無意識らしい。


「にいさま……」


 まるで宥めるような手の動きに、次第に心が落ち着いてくる。
 そして千早の眠りに誘われるように、冬姫もまた瞳を閉じた―――


 ――それから三十分後

 リビングにやって来た蓮と信は、窓辺で仲良く眠る娘と息子の姿を微笑ましく見ていた。


「冬姫ったら服まで掴んで、長堀君にべったりね。長堀君も何だかんだ言って冬姫には甘いし」


 眠る冬姫の右手は、千早のシャツをしっかりと掴み、千早もまた冬姫の頭に右手を乗せている。


「どちらかと言えば、娘みたいな感覚に近いのかもしれないね。育児は千早に任せきりだったから」


 ソファの隅に置いていたブランケットをゆっくりとニ人にかけ、信は息子の寝顔を眺めながら言った。


 育児休暇中でも、社長である蓮が出社しなければならないことは多い。
 社内に託児所もあるが、生後間もない子どもを預けるわけにもいかない。
 子育てを経験している信が面倒を見れれば良いのだが、仕事を休むわけにもいかずに千早に頼むことになったのだ。

 それは社内の託児所に預けられる年齢になるまで続けられた。


「ふふ。冬姫には二人も素敵な父親が居るのね」

「そうだね。さて、ではその素敵な父親の座が守れるように、ニ人が起きるまでに昼食の準備をしておこうか。ニン人の目覚めたら皆で食べよう。蓮、手伝ってくれるかい?」

「勿論!」


 信の言葉に蓮は笑って頷いた。


 日だまりの下、ニ人が目覚めるまでもう少し―――



*END*



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