『星に願いを』(七夕企画)



 ―――七夕


 出先から戻ってきた凌はエントランスに入り、隅の方に飾られた大振りの笹に視線を向けた。
 笹には、五色の短冊が吊るされている。
 仕事を終えた社員達の多くが、真っ直ぐに出入口へは向かわず飾られた笹へと足を向けている。
 そして皆、短冊に向かって祈るように手を合わせるのだ。

「毎年毎年、皆必死ね」

 大人達が笹に向かって手を合わせるなど異様な光景だが、ここでは毎年のことなので見慣れたもの。驚くのは新入社員ぐらいだ。
 凌は横目でそれを眺め、エスカレーターに乗り秘書室へと向かった。

 この会社では毎年、七夕になると短冊を各部署で一枚書き、笹に吊すというイベントがある。
 ただ書いて吊るすだけなら、皆あんなに必死になることはない。
 普通の七夕飾りと違うのは、社長によって一枚の短冊の願いが叶えられると言うこと。

「去年は総務課で全員に最新式のパソコンを支給。一昨年は営業課で社員食堂デザート付き食券一年分……だったかな」

 過去に叶ったものを思い出していると、秘書室のある階についた。
 もう殆んどの社員が帰ったのか、秘書室は閑散としている。

「只今戻りました、室長。今年もエントランス凄いことになってますね」

 机の上の書類を整理していたレイヴンは、凌の声に顔を上げた。

「お疲れ様、凌。七夕のでしょう? ボーナスとは違った意味で夏の一大イベントですからね。願いは社内と限られますが、欲しい物は尽きないんでしょう」

「うちの会社って変わってますよね。普通こんなことしないですよ」

 場合によっては何百万もの金を使うことになる。
 いくら社員の為とはいえ、夏のボーナスの前だ。会社にとってはかなりの出費だろう。

「顔と性格が怖いお詫びじゃないんですか?」

 席に着いて外出中にパソコンの端に貼られたメモに目を通していた凌は、その言葉に思わず吹き出した。

「怒られますよ」

「事実でしょう? 凌も怖いって言ってたじゃないですか」

 確かに怖い。怖いけれど、ワンマン社長でもないし結果を出せばちゃんと評価をしてくれる。

「怖いですけど、それ以上に尊敬してますから」

 凌が笑ってそう告げれば、レイヴンは満足そうに頷いた。

「ですって。いい社員だと思いませんか? 社長。私の育てた部下ですよ」

「……え?」

(社長って、まさか……)

 自分の後ろへ向けられた言葉。
 凌は恐る恐る後ろを振り返った。

「ふっ。ならばお前も部下を見習え」

 そこには予想通り、社長・倉橋珀明が立っていた。

(何故社長が秘書室に……? と言うか、今の話聞かれてたんじゃ……)

 聞かれていたと言う恥ずかしさよりも、聞かれてしまったと言う恐怖心の方が強い。

(だって『怖い』とか言っちゃったし……)

「嫌ですねぇ。こんなにも社長に尽くしてるじゃないですか」

「何処がだ。それより、これが今年の当たり短冊だ」

 凌の心中を余所に、珀明は手に持っていたビジネスバッグの中から一枚の短冊を取り出した。

「おや、当たり短冊は明日の社内放送で発表するんじゃないんですか?」

 当たり短冊は毎年七月八日の始業前に社内放送で発表される。
 発表された課には証として社長の署名・捺印の入った短冊が戻されるのだ。

「今年はお前の所だからな。明日業者に連絡しておけ」

 レイヴンに手渡された短冊を横から覗くと、確かに秘書室の文字と社長印が押されている。

「私、当たり短冊初めて見ました。ここ五年は秘書室は当たってませんでしたよね?」

 初めて見る当たり短冊に少し興奮しながら言えば、レイヴンは「そうですね」と頷いた。

「秘書室は善くも悪くも社長をはじめ、重役達と密接な関係にありますからね。そうそう当たりませんよ」

(つまり、贔屓だと思われるってことですよね)

「今年はコレが必要だと思っただけだ。まぁ、独り身の社員が煩そうだかな」

 珀明は喉の奥でクッと笑った。

「いつかその独り身の中から有り難みが分かる人が出て来ますよ」

 ニ人の会話を聞きながら、凌は再び短冊に視線を落とした。
 秘書室の望みは、“社内託児所の定員増加”。
 共働きが増える中、保育園や託児所の数は少なく何処も入所待ち。社内にも託児所はあるが、定員数から預けられない社員も多い。社内で受け入れられる人数が増えれば、それだけ社員も助かるのだ。

「但し、新たに保育士を雇ったり小児科医も倉橋から寄越さなければならない。しかも今までのように費用を会社では賄い切れない額になる為、預ける社員の給料から毎月ニ万程引くことになるがな」

「たったのニ万円ですか!? それでは安すぎて希望者が殺到しませんか?」

 昼に託児所に預ける場合でも相場は三〜四万円だ。別途オムツや粉ミルクに数千円必要になる所もある。
 これはかなり破格だろう。これでは定員争いが勃発しないか不安だ。

「大丈夫ですよ。あくまで一般の託児所から漏れた社員への措置ですから。そもそも、うちの育児休暇はきちんとしていますし、新入社員の給料でも慎ましく生活していたら家族を養えますからね」

 確かに、新入社員でも家族を養える額は貰っている。
 その代わり、入社試験の倍率と難易度は高レベルだ。
 凌は確かに、と頷いた。

「短冊は渡したからな。私はもう帰る」

 一通り話が済んだ所で、珀明は腕時計を見て秘書室を後にした。
 恐らく迎えの車が来る時間なのだろう。
 凌とレイヴンはその背中を「お疲れ様でした」と見送った。

「やっぱり社長って凄いですよね。早速工事ですよ」

(普通、各業者の見積り確認が先ですよね? って言うか、全部室長任せって所にも驚きですが)

「そうですかねぇ。まぁ取りあえず、これで安泰ですね」

「何がですか?」

 意味が掴めずキョトンとした顔で言えば、レイヴンは当たり短冊をデスクにしまい、意味有りげに笑った。

「将来凌との子どもも会社に預けられるじゃないですか」

「こっ、子ども!?」

 突然の言葉に、凌は金魚のように口をパクパクと動かした。

(なっ、何を急に言い出すんですか!)

 未来像ではあるが、聞きようによってはプロポーズに近い。

「し、室長。それは一体どういう意味で……」

(将来? 子ども? それって……)

 激しく動揺する凌の肩を、いつの間にか帰り支度を済ませたレイヴンがポンッと叩いた。

「まぁ、俺の七夕のお願いとでもしておきましょうか。叶うも叶わないも凌次第ですけどね」

「七夕の願いごと、ですか」

 プロポーズじゃなくてホッとしたしたような、少し残念なような、複雑な気分だ。
 でも、レイヴンの未来のビジョンの中に自分が居ることが凌には嬉しかった。

「まぁ、未来の話はこれぐらいにして、食事でもして帰りませんか? おすすめの豆腐料理屋があるんですよ」

「あ、良いですね。丁度あっさりしたものが食べたかったんです」

 レイヴンの誘いに凌は笑って頷いた。

 ―――いつか室長と子ども達に囲まれて、一緒に七夕の夜空を眺める日が来るれば良いなと思う。


 『叶う叶わないは凌次第ですね』


 いつか……



*END*



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