『女王に捧げる花色語』(クリスマス企画)
“主よ、色無き花々に色をお与え下さい”
“私が楽園を去った後も、愛するあの人が寂しく無いように―――”
クリスマスの夜、ディナーと入浴を済ませた奏は自室で一冊の絵本を読んでいた。
絵本は奏が珀明と結婚するにあたり、実家から運んだ数少ない物の一つだ。
表紙には、降り積もった雪の上に、苺の花を胸に抱いて眠る女性の絵が描かれている。
幼い頃から幾度と無く繰り返し読んでいたせいで、表紙には細かな傷が入り、ページには所々小さな破れがある。
奏は傷だらけの表紙を愛しむように、そっと撫でた。
この絵本を読む度に、胸の奥がギュッと締め付けられる。哀しい、暖かみのある物語。
「ここに居たのか、瑪瑙」
背後から声を掛けられ、奏が振り返る間も無く身体を背後から椅子越しに抱き締められる。
フワリと鼻腔に届く爽やかな柑橘系の香り。
耳に馴染んだバリトン。
「珀明さん……」
身体に回された珀明の腕に、奏はそっと自分の手を重ねた。
逞しく力強い腕。
(いつからかしら? この腕に抱かれていると安心するようになったのは。触れられる度に怯えていた日々が遠い日のような気がする……)
「私の部屋で待っていろと言っただろう」
「―――っ!」
珀明の言葉に、身体が熱くなる。
珀明がバスルームに入るまで、奏は主寝室――珀明の部屋に居た。
バスルームに向かう珀明に、耳元で「一週間抱けなかったからな。今夜は眠れると思うなよ」と囁かれ、恥ずかしさから自室へ逃げて来てしまったのだ。
羞恥から身体を固くして黙っているのを気にせず、奏の首筋に顔を埋めていた珀明は、奏が手に持つ古い本に目を止めた。
「……それは?」
「実家から持って来ていた絵本です。幼い頃から何度も読み返してるので大分くたびれてますが、大好きなお話なんです」
その身一つで屋敷に来たに等しい奏が、実家から持って来る程大切な物と言うことに、珀明は興味を惹かれた。
(どこにでもある様な、薄汚れた絵本にしか見えんが……)
「どんな話なんだ?」
「お読みになりますか?」
「どうぞ」と絵本を差し出すが、珀明は「……いや」と首を横に振り、奏の向かいの椅子に座った。
「お前の声で聞きたい」
(私の声で? 朗読をしろと言うことかしら? 絵本は平仮名ばかりで大人には読みにくいから、珀明さんは面倒に思ったのかもしれない。そもそも、珀明さんが絵本なんかに興味を持つこと自体が珍しいこと。私に気を使ってくれているんですか?)
本当は自分が読んで居る間奏が退屈だろうからと、耳に心地の良い声を持つ奏に朗読して貰って絵本を楽しもうと珀明は思っていたのだ。
「分かりました。私が読みますので、珀明さんは絵を見ていて下さい」
絵本を珀明に向けてテーブルに置き、奏は静かに表紙を捲った―――
『女王に捧げる花色語り』
文・堤 英/絵・雨宮 麗
遠い昔、まだ花々が色を持たなかった頃―――
神は一つ一つの花々に色をお与えになりました。
『向日葵、お前には暑さを耐え抜く黄色い体を与えよう』
『有難うございます、神様』
どの花も、与えられた色を喜んでいたが、最後に訪れた苺の花は答えた。
『神様、私は冬の女王様と同じ色が良いのです。あの方と同じ、この色が……。ですからどうか、このままで』
『お前は女王が怖くはないのか?』
死を司る白き魔物―――
彼女は花を死に誘う。
触れる花は凍りつき―――
女王の歌声は優しく儚く響き渡る。
彼女の流す涙は宝石となる――
『あの方はお優しい方です。雪に埋もれ咲いていた私を助けて下さいました。だから私は、あの方と同じこの色が良いのです』
『……お前は気が付いていたのだな。夏の王と同じ様に――』
夏の王が楽園から去り、その哀しみから心を凍てつかせてしまった、本当は誰よりも澄んだ心を持つ優しい女王。
『同じ色にした所で、私ではあの方の凍てついた心を癒せないと分かっています。ですが、それでも私は冬の女王様に寄り添っていたいのです』
四季の中でも強い力を持つ故に、互いに心を通わせていても触れ合うことの出来なかった夏の王と冬の女王。
『ならお前には、女王と同じ白い色を――。そして、白に映える赤い実を与えよう』
苺は冬に白い花を咲かせ、子蔓(こづる)を伸ばしてその株を増やす――
女王を慕う仲間が増えれば、夏の王が居ない寂しさも癒えるだろう――
少しずつ、少しずつ
凍てついた氷が溶けていくように―――
“主よ、花に色をお与え下さい”
“私が楽園を去った後も、愛するあの人が寂しく無いように―――”
***
長くも無い物語を読み終え、奏は絵本を閉じた。
「――おしまい、です」
「中途半端な終わり方だな」
物語には冬の女王と苺がどうなったのか、楽園を去った夏の王が何処に行ったのかが書かれていない。
珀明の疑問も最もだ。
「この絵本はシリーズ物なんです。でも、今では絶版になっていて……」
両親に頼んで探して貰ったが、結局見つけられなかった。
元々ミステリー小説を専門とする著者が、自分の子どもの生まれた記念に初めて書いた絵本らしく、発行部数も少なかったらしい。
「でも、手に入らなくても色々とその後を自分で想像出来るから良いんです」
本当の結末は分からなくても、幾通りもの結末を思い描くことが出来る―――
「……自分で、か」
「はい。苺は子蔓を伸ばして株を増やすことから“幸福な家庭”と言う花言葉がつけられたんです。私は冬の女王を慕って増えた苺の花達によって、少しずつ心を開いてくれると思います……」
苺は女王の為に花を咲かせ、女王に喜んで貰いたくて鮮やかな赤い果実を実らせる、健気な花。
伸びた子蔓もまた新たな花を咲かせ、女王の回り一面に咲き乱れる。
「そうかもしれんな……」
「珀明さ……、あっ!?」
奏の話を聞いていた珀明が前触れも無く立ち上がり、向かいに座る奏を抱き上げた。
突然のことに驚く暇も無く、そのまま口を唇で塞がれる。
「んっふ…っ…は、くめ……ゃんっ」
熱い舌が口腔に差し込まれ、感じやすい粘膜を舌先で刺激される。クチュリと音を響かせて舌を吸われ、背筋が痺れるような感覚に襲われる。
次第に身体が火照り力が抜けて行く。どちらのものとも知れない唾液を飲み、角度を変えて口づけを交わす。
「んっ、……んふっ」
唇が離れた頃には、奏は珀明の胸に凭れ荒い呼吸を繰り返した。
「ど、して……?」
息が上がり、声が出ない。それでも珀明は聞き取れたのか、意地悪く笑った。
「お前は敢えて言わなかったのかもしれんが、子蔓は子どもを指し、家庭円満の象徴でもある。私達の“幸福な家庭”の為に、今夜は頑張って貰おうか?」
「なっ!? ……珀明さん!」
その言葉の指すことに奏は顔を赤く染めた。力の込もらない手で珀明の胸を叩くが、珀明は笑みを浮かべて好きにさせ力強い足取りで主寝室へと向かった。
その夜奏が解放されたのは、明け方になってからのこと―――
*END*
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