「初めての悪徳商法」菖蒲 一慶
※小牧理彩とはただの同期時代。




 珍しく定時に上がれたのに、会社の入り口から向こうは大雨だった。


「くそっ、今日雨降るなんて聞いてねーぞ」


 平日の朝には欠かさず見ているニュース番組で、自分好みのお天気お姉さんが「今日の降水確率は二十パーセント。スッキリとした青空が広がる一日になりそうです」と言っていたから安心していたと言うのに。


(夕方から二十パーセントに転ぶなよ)


 大雨の中、傘を買いに走ってコンビニまで向かう気合いもなく、マンションが比較的近いこともあり金が勿体なくてタクシーも呼べない。
 小降りになったら走ろうと、エントランスで待つこと早十五分。雨は小降りになるどころか激しさを増している。


(大雨で前が白い……)


「あら、菖蒲君じゃない。お疲れ様。帰らないの?」


 どうしたものかと途方に暮れていると、背後から声を掛けられた。


「おう小牧、お疲れ。帰りたくても帰れねーんだよ。傘持って来てないから、雨足が弱まるまでここで待機中」


 受付から見えてただろうと言えば、まぁねと楽しそうに笑った。


「ふふふ。折角定時で上がれたのに残念なことね。私みたいに置き傘してないからよ」


 理彩は誇らし気に手に持っていたピンク色の傘を菖蒲に見せた。


(子どもみたいに自慢気に言うなよ……)


「ただズボラなだけだろ。大方置き傘と言う名の忘れ物だろ。朝降ってたから持って来て、帰りは降ってなかったから忘れて帰ったとこだな。普通、置き傘はコンパクトな折り畳みだけど、お前のそれは長いやつだし」


 図星しだったのか理彩がグゥッ…と唸る。


「う、うるさいわね! 折角マンションまで入れてってあげようと思ったのに!」


 ふんっと自動ドアを抜けて行く理彩を菖蒲は慌てて追いかけた。


「小牧、待てって。有難い話だから入れてくれよ。いつ止むか分かんねーし、うっかり風邪でも引いたらヤベーから」


 折角傘に入れてくれると言ってくれているのだ。
 これ以上機嫌を損ねてしまえば、本当にいつ帰れるか分からなくなってしまう。


「感謝の気持ちが余り伝わって来ないんだけど。ま、私達まだ有休ないし、風邪引いたらコトだものね。仕方ない。この理彩様の傘に入るがいいわ」


(偉そうに胸を張るな、胸を。幾つだお前)


「へーへー。んじゃ、傘は俺がお持ちしますよ」


 パンッと傘を開いた理彩の手から、傘を奪う。
 それを頭上に翳した途端、理彩がニヤリと笑った。


「入ったわね? んじゃ、お礼に駅前の居酒屋でご馳走して貰おうかしら。うふふ……。明日は土曜日で会社は休みだし、今夜は楽しくなりそうね〜」

「――はあぁぁ!? 冗談じゃねーよ。んな話一言も聞いてねーし。一体何処の悪徳商法だよ……」

「そーよ? 冗談じゃないわ。だってホントのことだもの。私、タダで入れてあげるなんて一言も言ってないし。それに、菖蒲君のマンションって駅から反対方向じゃない! それを送ってあげるんだから、それくらいしてくれて当然よ!」


(イヤイヤイヤ、金額的に当然じゃねーだろ!)


「んじゃ、駅まで送ってくから、帰りに傘貸してくれよ。お前ん家は駅前のマンションなんだから、濡れる心配ねーんだろ?」

「いいけど、この傘ピンク色よ? 女性用だから小さいし、それを差して帰る度胸あるの? ドピンクの傘持って街歩くのよ? 同じ会社の誰に見られるか分からないし、要らない誤解を招くかもしれないのに? 月曜日の出社が楽しみね」


今日は花の金曜日。雨でも仕事帰りに呑みに行く会社員も多いだろう。勿論、うちの会社の連中も。


「……お礼にご馳走させて頂きます」

「最初からそう言えばいいのよ。あ、帰りはちゃんと送ってあげるから感謝してよね」


 この後、菖蒲は居酒屋で理彩に遠慮なく飲み食いされ、会計時に二万円近く支払うことになり、更には酔い潰れた理彩を自宅に泊まらせるハメになったのだった。



*END*



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