『七夕の日には……』(七夕企画)



 ―――七夕

 放課後、優実はいつものように第二化学室を訪れていた。


「今年は曇りか……」


 空は朝から厚い雲に覆われ、時折ポツポツと雨を降らせている。
 梅雨のこの時期は雨の日が多い。しかし、七夕の夜ぐらいは晴れて欲しいと思ってしまうのは、贅沢な願いだろうか。


(去年は雨、一昨年は曇り。その前はどうだったかな……)


 優実が覚えている限りでは七夕の夜に晴れたという記憶は少ない。


「相楽さん、早く食べないとせっかく作ったアイスが全部溶けてしまいますよ」


「あっ!」


 ファントムに声をかけられ、窓の外を眺めていた優実はハッとして手に持っていた硝子の器に視線を落とした。
 硝子の器に入れられていたバニラアイスは、手の体温で半分近く溶けてしまっている。

 今日は氷と塩を使った実験でアイスを作った。出来上がったアイスは市販の物よりも素朴な味だ。


「市販のより牛乳の味がするね」


 バニラエッセンスも入れたが、それよりも牛乳の味が強い。固さも市販の物よりも柔らかい。


「手作りだと大体こんな味ですよ」


 既にアイスを食べ終わったファントムは実験に使ったタライや塩まみれの氷等を片付け始めている。
 「手作りはこんな味なんだ」と納得し、溶けかけのアイスを口に運ぶ。


(これはこれで美味しいけど、アイスはお店のが一番かな……)


 優実がアイスを食べ終わる頃には実験机の上はファントムによって綺麗に片付けられていた。


「先生ごめんね、片付け……」


 「本来なら生徒が率先して後片付けをしなければいけないのに」と気まずそうに言う優実に、ファントムは仮面の中で笑った。


「薬品を使ったわけではありませんから簡単な片付けですよ。次は手伝って貰いますから」


「うん」


 アイスの入っていたお皿を洗って片付け、実験結果をノートに記入して行く。これをファントムに提出しサインを貰えば、今日の活動は終了だ。


(えっと、氷は溶ける時に回りの温度を下げる性質がある。それに塩を加えることにより、温度を下げるスピードが速まり零度以下になる。あれ……? 何で塩を入れたら冷えるスピードが速まるんだっけ……)


「ねぇ先生、何で塩って……」


 ノートから顔を上げ、優実はファントムの居る方に視線を走らせた。


「あれ? 昨日折角飾ったのにもう七夕飾り片付けちゃうの?」


 窓を開け、ファントムがベランダから取り込んでいる物は今日の主役・七夕飾りだ。
 学園では毎年各部活に笹と短冊が配られる。短冊に部活に関する願い事を書き、笹に飾るのだ。


「そうですよ。本来七夕飾りは前日の夕方から飾り、七夕の日の夜には取り外すという決まり事があるんです」(※諸説あります)

「そうなんだ?」


 幼稚舎の頃にも七夕飾りを作ったことがあるが、七夕が過ぎても一週間くらい飾っていた記憶がある。


(雨に濡れてボロボロになって捨てたんだっけ……)


「ええ。他にも、七夕の夜には天の川にちなんで素麺を食べたりしますね」


 七夕の夜に素麺を食べる風習は、中国で七夕に供えられる索餅(さくへい)と呼ばれる小麦菓子に由来している。
 中国の伝説で、五帝の子どもが七月七日に水死し、霊鬼となって人々に疾病を与えた為、子どもの好きな索餅を供えたところおさまったという話がある。
 この伝説から、中国では七夕に索餅を食べると病気にかからないと言われ、それが日本に伝わり素麺に関連付けられたとされている。


「へぇ。確かに素麺て天の川に似てるよね。織姫が機織りに使う糸にも」

「そう例える説もありますよ」


 素麺は天の川や織姫が機織りに使う白く細い糸とも例えられている。


「あぁ〜もう、先生のせいで素麺食べたくなっちゃったじゃない。今日の夕食天ぷらなのに〜」


 優実の家では素麺は八月にならなければ食卓に登場しない。御中元にあちこちから素麺が届く為、自分では買わないのだ。
 天ぷらも好きだが今食べたいのは素麺だ。八月まで待てない。


「七夕だから素麺買って帰っても怒られないかな……」


 腕を組み、ブツブツと呟いている優実にファントムは苦笑した。
 ファントムの話を聞いて、どうやら優実の中では今夜は素麺を食べなければ気が済まないらしい。


(今時、七夕に素麺を食べる家庭の方が少ないんですけどね……)


 しかし、それを今言った所で優実には無意味だろうことは分かっていた。

 なら……


「優実さん、素麺の美味しい和食屋があるんですが今夜一緒に行きませんか?」

「えっ、本当!?」


 ファントムの言葉に、優実の顔がパッと明るくなる。
 ファントム……、帳は学園での仕事が終わってからもその足で副社長をしている会社へと向かい、深夜まで仕事をすることが多い。
 その為、優実と帳が学園以外で会えるのは月に一度程度だ。


「ええ。幸い今日は急ぎの仕事はありませんし、私の方から優実さんのお宅へ連絡しておきますよ」

「行く行く! わぁ〜、有難う先生。大好き!」


 両手を合わせて喜ぶ優実の姿に、ファントムは胸の中が温かくなるのを感じた。
 ファントムの一方的な都合で外ではなかなか会う時間が取れずに寂しい思いをさせているのに、“大好き”と惜しみ無く素直な言葉をくれる。

 それがどれだけファントムを喜ばせるのか、きっと優実は知らない。


「私も大好きですよ、優実さん」


 その言葉と共にファントムは仮面を外し、優実の唇にそっと口づけを落とした。



*END*


 オマケ


「そう言えば優実さん、実験ノートは書けましたか?」

「あっ! そうだ、先生にどうして氷に塩を入れたら冷えるスピードが早くなるのか聞こうと思ってたの」

「あぁ、それでしたら、氷に塩を加えると氷が溶けて回りから熱を奪い、氷の温度を零度から氷点下にまで下げるからですよ。これを『氷点降下』と言います」

「マイナスまで? 塩って凄いんだね」

「……優実さん、実験はしてないかもしれませんが、これは初等部で習っているはずですよ?」

「…………」



*END*



過去拍手TOP