『白い花』
ホワイトデーも過ぎた、堤・水瀬家のある日のひとこま。
「あのね? チョコ選別してたんだけど、何でお酒多いのかな〜って……」
私が段ボールの中からヘネシーと書かれたお酒を一本取り出して見せると、パパは一瞬考えるような仕草を見せ納得したように口を開いた。
「お酒? あぁ、そう言えば綾瀬さんが今年はお酒が五割って言っていたね。腰が痛くて苦労したってごねてたよ」
(『ごねてた』って……。パパって本当、綾瀬さんに対してだけ口が悪いよね)
「あぁ……、お酒の話でしたね。花白ちゃんは僕の著書の作者紹介って見たことある?」
(パパの本の作者紹介? 生年月日とか趣味とか、ちょっとした情報が書かれてるとこだよね?)
私はパパの言葉に頷いた。
「そこに、『楽しみは仕事明けにお酒を呑むこと。特に久保田等の日本酒やウイスキー、シャンパンを好む』って書いてあるんだよ」
「久保田?」
(誰? 人名?)
「久保田って名前のお酒。純米酒なら、結構いい値段するよ」
「ふーん。でさ、パパって実はお酒が好きなの? でも、家ではお酒殆んど呑まないよね?」
パパがお酒を家で呑む姿を見たことは殆んどない。
出版社で行われるパーティーでは断り切れずに呑んで酔っぱらって帰って来るけれど、どちらかと言えばパパはお酒に弱い。
「僕じゃなくて、好きなのは百合さん」
「花白ちゃんも知っているでしょ?」とパパは何か嫌なことを思い出したのか、少し眉間に皺を寄せた。
「ママ?」
(確かにママはお酒が大好きだったけど……)
「うん。百合さんが僕の作者紹介読んだ時にね……」
『やだ英君。何よ、この「好きなことは夕方散歩」って。若年寄りねぇ!』
僕の本をバシバシと叩き、何を思ったのか百合さんは携帯電話で誰かに電話をかけた。
『あ。もしもし、綾瀬さん? お久しぶりです。百合です。でね、ちょっとお願いがあるんだけど良いかしら? 英君の作者文ね、次回作からは「お酒が好き」って書いて欲しいのよ。そう。あぁ、ちゃんと綺麗な文章にしてね』
『ちょっ! 百合さん!』
(何勝手なこと言ってるんですか!)
慌てて止めようとしても既に遅く、通話を終えた百合さんは僕に向かってブイサインを見せた。
『何考えてるんですか? 僕はお酒には全く興味ありませんよ』
溜め息まじりに言っても、百合さんにはどこ吹く風だ。
『やーねぇ。男の子はお酒が強くなきゃ駄目よ? 女の子より先に酔い潰れたら興醒めじゃない』
『一般的な量までなら平気ですよ』
『一般的じゃないわよ。英君、一升瓶三本は無理じゃない』
一升瓶とは日本酒のことだ。
『僕じゃなくても世間一般的に無理な量ですよ! 何ですか一升瓶三本て!』
『私が若い頃の最高記録。今は精々二本半ね』
『これだから歳は取りたくないのよ』と残念そうに言った。
『そもそも、歳云々の問題じゃないでしょう! 貴女の基準と一緒にしないで下さい!』
『ふふふ。まぁいいわ。おいおい鍛えてあげるから。あっ! でもね、これは後に意味を成すのよ。もし、英君の誕生日やバレンタインに読者の人からプレゼントが届けば、それだけ英君が世間に認められたってことになるの。英君の顔も性格も知らない読者が、わざわざプレゼントを買って送ってくれる程、英君の作品が好きだってことなんだから』
今まで見たことのないような真剣な顔で、百合さんが語り聞かせるように言った言葉。
百合さんは僕以上に、僕の作品を大切に想ってくれていた。
(――ねぇ百合さん。僕は今、貴方の期待に応えられていますか?)
「ママ、パパのこと大好きだったんだね」
どこか寂しそうな、花白ちゃんの言葉。
花白ちゃんは百合さんが大好きだけど、別の意味で百合さんをとても気にしてる。
(僕が百合さんを好きだったから。そして、百合さんも……)
でも、今なら判る。
「花白ちゃん。僕は百合さんが好きだよ。でもそれは、花白ちゃんへの想いとは違う」
僕は百合さんが好きだった。姉のような存在として。無条件の優しさで、僕を包み込んでくれる。
百合さんもそう。僕を見る目は慈愛に満ちていた。
多分彼女にとっても、僕は弟のような存在だった。
ただ、子育ての不安から心の拠り所を求めていたのだと思う。
事実、百合さんとはキス止まりで肌を重ねたことは一度も無い。
「そんなの変だよ。だって、結婚を考える程ママが好きだったんでしょう?」
真っ直ぐに育った花白ちゃんには、理解し難い話なのかもしれない。
その名の通り、花白ちゃんの心は真っ白なんだろう。
「好きだったよ。百合さんから見ても、僕らは姉弟のような存在だった」
恋や結婚にも色々な形がある。
「花白ちゃんは、無理に理解しようとしなくて良いんだよ。だけど、これだけは忘れないで。僕は花白ちゃんが一人の女性として大好きなんだ」
これは嘘偽りの無い、僕の本音。
何かを堪えるように唇を噛む花白ちゃんを見ていたくなくて、僕は花白ちゃんの腕を引いて抱き締めた。
「うん。私もパパが好き。ママの事が好きなパパも大好き……」
切れきれに、腕の中で紡がれる言葉。
これからも、花白ちゃんは自分と百合さんを比べるだろう。
でも、その度に何度でも今の言葉を花白ちゃんに囁くよ。
「ね、花白ちゃん。このお酒は花白ちゃんがニ十歳になったら一緒に呑もうか。その頃にはもっと美味しくなるよ」
「うん!」
(花白ちゃんがニ十歳になったら、一体どんな大人の女性になってるのかな……)
どんどん綺麗になっていく花白ちゃんに、きっと僕の心が休まる暇なんて無いのかもしれない。
百合さん。今日も貴女の花は、綺麗に咲いています―――
*END*
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