『チョコと本音の水面下』英+綾瀬
(キリリク『チョコと本音』で、英が水瀬からチョコを手に入れるまでのお話)




 それは秋の始まりを告げるとんぼが舞う昼下がり。

 堤 英の自宅の仕事部屋では、部屋の主である英と彼の担当編集者の綾瀬 雪名の姿があった。
 窓辺に置かれた茶色い麻布の張られたソファに座りクリーム色のスーツを着た綾瀬は、スカートからスラリと伸びる綺麗な足を惜し気もなく見せ付けるように組みかえた。
 スーツが品よく決まる体格。控え目なメイク。
 綺麗に巻かれた茶色い髪が頬に掛かり、グロスの塗られた唇に目が惹きつけられる。
 
 英は優雅に足を組みかえる綾瀬の姿を見て、ボソリと呟いた。


「とうとう骨盤でも悪くされたんですか?」

「違いますよ! ポーズです! 先生って本当にデリカシーないですね!」

「確かに。貴方に使うデリカシーは生憎と持ち合わせていませんね」

「くっ……」


 皮肉をさらりとかわした英に、綾瀬は悔しそうに唇を噛んだ。
 綾瀬の持ってきた資料の写真を見ながら、英はそんな綾瀬の様子を見て楽しむ。

 出会った時から、綾瀬は変わらない。
 否、元々の口煩さに更に磨きがかかったが。

 出会った頃は新米編集者だったのに、今では敏腕編集者だ。


「……先生」


 唐突に綾瀬が俯けていた顔を上げ、挑むように英を見据えた。
 これは何かロクでもないことを考えている時の顔だと、英は思った。


「何です?」

「賭けをしませんか?」


(賭け……?)


「何のです?」


 綾瀬が突然話題を変えるのも珍しくないので、英は続きを促した。


「前に花白ちゃんはチョコレートがお好きだって仰っていましたよね? 駅前に『ショコラ・ブティック』が出来たのはご存知ですか?」


(駅前……?)


 そう言えば、駅前にチョコレート専門店がオープンしていたことを思い出す。
 花白が一粒数百円もするのだと言っていた。


「それが?」

「先生が勝ったら、私が一箱二万円のチョコレート自腹でプレゼントします。で、私が勝ったら我社でまた一冊、恋愛小説を書いて下さい」


(二万円のチョコレートの引き換えに恋愛小説……、か)


 柊書房では前に一度恋愛小説を出版し、大反響を呼んだ。


「あれは一回限りのお約束でしたよね?」


 花白が英の気持ちを誤解して家を飛び出した時、壁や廊下に飛び散ったティーセット等を片付けてくれた時の貸しだ。


「良いじゃないですか。売れれば巡りめぐって先生の利益になるんですから」


 そう言う問題ではない。


「チョコレートくらい、自分で買えますから」

「ふふん。その言葉を待ってたんです。実はですね、そこのショコラティエとは、知り合いなんですよ。特別に花白ちゃんをイメージしたチョコレートを作ってくれるよう、頼んでおきました」


(花白ちゃんをイメージしたチョコレート?)


「どうです、先生? きっと花白ちゃん喜びますよ」


 仕事 < 花白ちゃん


「………良いでしょう。で、なにで勝敗を決めるんですか?」


 綾瀬は鞄から六本のDVDを取り出した。

 タイトルは『エンブリオ』


「旦那から借りてきた日本では放送されていない海外の推理ドラマのDVDです。勿論私は字幕が無いので見ていません。全十二話で、どちらが多く犯人を特定できるか勝負しませんか?」


 DVDのパッケージを見て、英は「成る程」と相槌を打つ。


「ドイツ語ですか。字幕も無いとなると厳しくなりますね」


 英はミステリー作家なので、この手の推理は得意だ。
 しかしドイツ語で物語が進み、専門用語が出てくればかなり難しくなる。


「良いでしょう。今日から二話ずつ観ますか。綾瀬さん、仕事は大丈夫なんですか?」


 自由業の英とは違い、編集者である綾瀬には仕事がある。


「フレックス制ですから問題ありません」


(……問題ないわけないだろう)


 口には出さず、心の中で呟く。

 こうして、二人の賭けが始まった。



***



 ―――そして六日後



「僕の勝ちですね」


 あれから六日。全十二話のドラマが終了した。

 形式としては、主人公が犯人を言い当てる時に、自分達も紙に犯人だと思う人物の名前を書いてテーブルの上に乗せる。

 より多く犯人を当てることの出来た方が、勝者となる。
 結果は英が十話、綾瀬が八話正解となった。


「ドイツ語は私も先生も不得意なのに……、なんで?」


 結果に納得出来ないのか、綾瀬は激しく落ち込む。


「ドイツ語の勉強にはなりましたよ。ヒアリングの」

「……うぅ。もう、良いです。今日はもう帰ります」


 自信を砕かれ余程ショックだったのか、綾瀬は身支度を整える。


「チョコレートは今日注目するので出来上がり次第お持ちします」


 部屋を出ていく綾瀬の背中に、英は声をかける。


「僕と『エンブリオ』で賭けをしたこと、編集長は知ってるんですか?」

「いいえ、知りませんけど?」


 「何ですか?」 と綾瀬が怪訝な顔で英を見た。


「なら良いんです。チョコレート楽しみにしてます」


 今度こそ綾瀬を見送り、英は百合の部屋に入って本棚を漁った。
 そして、十冊のドイツ語で書かれた本の中から一冊目を取り出す。

 本のタイトルは『エンブリオ』

 そう、あのDVDの原作だ。
 DVDは観たことはないが、実はドイツ語で書かれた小説は一度だけ読んだことがあった。
 そしてこの小説を綾瀬の夫である編集長に貸し、その結果編集長が海外からDVDを取り寄せる程嵌まってしまったのだ。


「綾瀬さんの敗因は、情報収集の不足ですね」


 英は口元に笑みを浮かべ、本を棚に戻した。



*END*



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