「オニキス」
（第一部の本編を先にお読み下さい）



倉橋本家・別館には、一匹の子猫が飼われている。

　名前は瑪瑙（めのう）。
　黒い毛並みに、青い瞳を持つ雌猫だ。

　奏が自室で瑪瑙と遊んでいると、会社から帰宅した珀明が入ってくる。
　不機嫌に寄せられた眉。どうやら、出迎えに現れなかったことが原因のようだ。


「お帰りなさい、珀明さん」


　奏は瑪瑙を腕に抱き、珀明の顔を見上げた。


「あ……！」


　珀明の腕が奏の腰に回され、引き寄せられる。
　珀明の顔が近くなり、奏は反射的に瞳を閉じた。

　唇が重なる瞬間、珀明が囁くように、奏の本当の名前を呼んだ。


「瑪瑙……」


　――だが……


「ニャ〜！」

「「 ―――!? 」」


　珀明の呼んだ名前に、奏の腕の中におさまっていた猫の瑪瑙が反応し、珀明の唇をペロリと舐めた。


「私が呼んだのはお前ではない」


　気が削がれたのか、珀明は奏の腰に回した腕を外した。


「ナァ〜？」


「ふふ。瑪瑙は私と同じ名前だから、どっちが呼ばれたのかわからないものね」


　もう呼ばれることのない名前だから、奏はこの子猫に瑪瑙の名を与えた。
　それでも、珀明は奏を『瑪瑙』と呼んでくれる。


「紛らわしいな。名前を変えたらどうだ」


　珀明以外の者は皆“奏”と呼ぶが、このまま奏を瑪瑙と呼んだ際に猫の瑪瑙も反応するのでは確かに紛らわしいかもしれない。


「そうですね。では、どんな名前が良いでしょう？　瑪瑙に関連した名前が良いのでしょうか？　あっ！　ギリシャ語では瑪瑙はアゲートと言うんですよね。ね、瑪瑙。アゲートはどうかしら？」


　奏は瑪瑙の前足の下の部分を持ち、顔の高さまで持ち上げて反応を窺った。


「ナァ……」


　瑪瑙は気に入らないのか、反応は良くない。


「さすがに雌猫にアゲートは無いだろう。こちらも呼び辛い」


　呆れたように珀明にまで言われ、奏はいたたまれず俯いた。


「じゃぁ、珀明さんも考えて下さい」


　珀明は奏の手から瑪瑙を取り上げ、同じように自分の顔の高さまで持ち上げた。


「そうだな……。こいつの瞳の色は深いブルーだが、光の加減によっては少し黒も混じっているように見える。黒瑪瑙……、オニキスと言ったところか」

「ニャァ！」


　瑪瑙が嬉しそうに鳴き声を上げた。


「どうやら気に入ったようだな。首輪にはオニキスが埋め込まれているから丁度良い」


　珀明は奏の腕にオニキスを返した。


「宜しくね、オニキス」

「ナァ！」


　奏が名を呼ぶと、オニキスが鳴き声を上げる。
　その返事に奏は嬉しそうに微笑んだ。

　珀明がオニキスと名付けたのは、瑪瑙と関連した名前だと言うこと以外にももう一つ理由がある。
　首輪に埋め込まれた宝石『オニキス』には、古来から悪霊から身を守る邪気払いや魔よけの力が宿るとされている。

　いつか珀明の力が奏に及ばなくなった時、代わりに奏を守れるように……
　そう願いを込めて、珀明はオニキスと名付けたのだった。



＊END＊



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