『White day』Side珀明(4)
***
屋敷に戻り、その足で瑪瑙の部屋へと向かった。
玄関で葉月からオニキスと遊んでいると聞いていたからだ。
部屋に入ると、ソファにではなくその下の絨毯に座り込み、白い猫じゃらしをオニキスに向かって振っている。
「何をしている」
「お帰りなさい、珀明さん。お仕事お疲れ様です」
珀明に気付き、瑪瑙は慌てて立ち上がった。
「ナァ〜ゥ」
もう相手をして貰えないことがわかっているのか、オニキスが不満そうに瑪瑙の足元で鳴く。
「オニキスと遊んでいたんです。お出迎えに行けず、申し訳ありません」
「いや、構わない。いつ帰るとも伝えていなかったからな」
咎めたつもりはなかったのだが、瑪瑙の怯えたような表情に苛立ってしまう。
勿論自分に、だ。
自分では普通に喋っているつもりでも、何故か相手には責めるような口調に聞こえてしまう。
「これは?」
珀明は話を変えるようにテーブルの上に視線を向けた。
テーブルにはティーセットの他にラッピングされたいくつもの箱が置かれている。
「仕えて下さっている方々から頂いたんです。バレンタインのお返しに、と」
「バレンタインの?」
そう言えば、瑪瑙はバレンタインに屋敷の者にもチョコレートを配っていたと葉月から報告があったことを思い出す。
箱はどれも開封されており、中身は定番のお菓子や小物が主なようだ。
しかし……
「時計にブレスレット、香水……、屋敷の者は本当にお前を好いているようだな」
もともと、この屋敷に仕える者は変わり者が多い。
毎年必ず、主人の誕生日とクリスマスには使用人が金を出し合い一つのプレゼントを贈ってくる。
折角の給料なのだから、もっと有意義に使えばいいと思うのだが、葉月に「皆の気持ちは素直に受け取るもの」と言われ毎年受け取ることにしている。
「……はい。私が差し上げたのは見映えがいいとは言えないチョコレートだったので、頂いて心苦しいんですけど」
戸惑う心を表すように、その黒い瞳が揺れる。
困ったようなその表情に、珀明は小さく笑った。
(世間ではホワイトデーは三倍返しとよく言われるものだが、瑪瑙は皆無のようだな……)
いつでも自分よりも他人を気遣う瑪瑙だからこそ、屋敷の者達がチャンスとばかりに少々値の張る物を贈りたくなることを、瑪瑙だけが知らない。
「贈られるものは遠慮なく受け取るといい。気持ちを汲むのも主の務めだ。その様子では葉月にも言われただろう?」
「はい……」
何故分かったのだろうと、瑪瑙は不思議そうに頷いた。
「葉月の言いそうなことだからな。あぁ、私からもこれを」
手に持っていた恋月姫のロゴの入った黒い紙袋を手渡すと、瑪瑙は不思議そうに紙袋と珀明を見比べた。
ロゴから察するに中身は婦人服だと検討がつくが、瑪瑙は珀明が婦人服を買って来たことに驚いていた。
新しい洋服は随時メイドによってクローゼットに中に収納されて行く。
それらは珀明や葉月親子が選び抜いた洋服であるのだが、瑪瑙に洋服を手渡しで渡したことはなかった。
「今開けても構わないですか?」
珀明が頷くのを見て、瑪瑙はリボンを解いて箱を開けた。
「これ……」
先日見たファッション雑誌に載っていた洋服と同じ物。
可愛いデザインで気になっていたが、小さく書かれた価格を見て直ぐに諦めた。
(どうして珀明さんが知っているの?)
「レイヴンから聞いた。あいつも葉月から教えられたそうだがな」
「葉月さんが……」
瑪瑙は見られていたことを恥じらうように頬を赤く染めた。
物欲の無い瑪瑙を、屋敷の者達は常に気にかけていた。
お茶の時間に口にするお菓子や紅茶。瑪瑙には好きな味の時、一口目に口元を綻ばせる癖がある。
それを見て好みを把握し、好きな物を頻繁に出すようにしているのだ。
(それに気付いたら、頬を赤らめるだけでは済まないだろうな……)
「有難うございます。珀明さん」
素直に喜ぶ瑪瑙に、珀明は心が満たされる気がした。
瑪瑙は嬉しそうに服を眺め、続いてもう一つの箱を開ける。
中身は珀明が惹き付けられた白いコートだ。
「……ふわふわ」
フードの猫耳を撫で、瑪瑙は小さく呟いた。
「あの、此方もですか?」
「あぁ。気に入らなかったか?」
先程の服の時よりも反応は薄く、気に入らなかったのだろうかと聞いた珀明に瑪瑙は首を横に振った。
「ち、違います、とても可愛いです。でも、ここまでして頂く理由がありません……」
さっきの服一着でも、瑪瑙が贈ったチョコレートとは比べ物にならない程価値がある。
そもそも瑪瑙には、チョコレートは自分が勝手に贈ったもので、お返しを貰おうなどという考え自体がないのだ。
高価な物なら尚更、貰う理由がない。
「私が贈りたいから贈った。それだけの理由では不服か?」
「ですが……」
「お前が要らないと言うなら、この服は誰にも袖を通されることなくクローゼットの中に吊るされることになるだろうな」
誰にも袖を通されることなく、暗いクローゼットの中で保管される。
「お前は以前こう言っていたな。『物には贈り主の想いが込められている』と。私の想いは必要ないと言うことか?」
瑪瑙の謙虚さは美点でもあるが、時に欠点でもある。
珀明のその言葉に、瑪瑙はようやく本心を口にした。
「ごめんなさい。本当は、とても嬉しいんです。 私の為に珀明さんが選んで下さったことが……、嬉しいんです」
自分を恥じるようにほんのり赤く色付いた頬。
紡がれる言葉は、珀明が望む以上のモノ―――
(本当にお前は……)
予想だにしないその言葉は、珀明の胸を熱くさせる。
「有難うございます。―――あっ!」
恥じらいを含んだ甘い声と柔らかな笑みに耐えきれなくなった珀明は、瑪瑙をコートごと抱き締めた。
「珀、明さん? は、離して下さい。コートが皺になってしまいます」
突然の行動に瑪瑙は慌てた。それは先程までの甘さはない。
(――まったく、上手くいかないものだな……)
瑪瑙の言葉を無視し、柔らかな白い首筋に顔を埋めると、香水か何かの甘い香りか鼻に届いた。
「珀明さん、これから一緒に薔薇を見に温室へ行きませんか? このコートを着たいんです」
抵抗することを諦めたのか、大人しくなった瑪瑙が腕の中で言った。
瑪瑙がコートを着れるのは、屋敷の庭と温室だけ。
外へは運転手の手を煩わせることを嫌がる為、瑪瑙は珀明と一緒の時しか外出しない。
「温室か……」
夕方である今の時間帯に、あのコートは丁度いいだろう。
「あぁ、そうだな……」
珀明は頷き、瑪瑙の手からコートを取って着せてやる。
最後にフードを被せ、少し身体を屈めついでのように瑪瑙の唇を奪った。
「んぅっ……!? ふぁっ……ぅ、んっ!」
無防備に薄く開いていた唇に舌を入れ、瑪瑙の舌をきつく吸う。時折舌先を柔く噛んで愛撫すれば、舌先がビクリと震えた。
「ぁっ……んっ」
珀明は唇を放し、キスの余韻で上気した頬を掌で撫でた。
「フッ……。温室は辞めてベッドへ行くのでも構わないが?」
からかうようにそう言えば、言葉を理解した瑪瑙が顔を更に赤する。
「―――っ!」
珀明の胸を押し、瑪瑙は黙って扉へと向かった。瑪瑙が何も言わないことに、珀明は内心焦る。
「瑪瑙?」
呼び掛けてみるが、瑪瑙は無言のまま。
やりすぎたか、と後悔する珀明に瑪瑙がやっと振り返った。
「行きましょう、珀明さん」
振り返ったその顔には、穏やかな微笑み。
そして、共に部屋を出る時に自然に腕に絡められる瑪瑙の手。
今では当たり前になった、腕を組む行為。
スーツに当たる、柔らかな白いコート。
穏やかな日々に、たまにこれが夢ではないかと思うことがある。
それでも、この腕に伝わってくる熱は紛れもなく本物―――
この静かな日々が続けばいい。いつまでも―――
*『White day』END*
愛佳様に捧げます。
キリリク有難うございました。
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