『“奏”の歴史』



午前零時――


 珀明とレイヴンは、珀明の書斎でワイングラスを傾けていた。


「珀明、奏様抱く時いい加減避妊したらどうです?」


 二人きりの時は、レイヴンは珀明を呼び捨てにする。
 珀明は雇用主である以前に友人だからだ。


「何故?」


 レイヴンの問いに、珀明は眉を寄せた。
 
 瑪瑙を抱く際、珀明は一度も避妊をしていない。

 面倒なのではなく、結婚もしており責任も負える為、する必要がないと考えていたからだ。



「だから! 奏様はまだまだ遊びたい盛りだろう? 妊娠したら余計外の世界を知れなくなるだろ!」


 瑪瑙は自身の持つ特異な能力のせいで、外の世界と隔離するように生活して来た。

 “奏”の力は倉橋一族でも本家以外では言い伝えとされている。
 その為、力を人前で使わなければ気付く者はいない。

 だが、奏の両親は力を悪用されることを恐れ、自宅に閉じ込めた。
 義務教育の代わりに家庭教師をつけ、一族の嗜みである社交ダンスや楽器などの習い事もさせた。


「外の世界なら、子どもが生まれてから知ればいい」


 その珀明の言葉に、レイヴンは呆れた。


(奏様に育児放棄しろってんですかね?)


 珀明とは長い付き合いの為、大抵珀明の考えを察することが出来るのが、時々今回のように何を考えているのか全く分からい時がある。
 
 ベビーシッターを雇うとでも言うのだろうか。しかし、それは奏が許さないだろう。


(奏様は人の手を煩わせることは好まない方ですしね。それなら……、なぜ?)


 ふと、レイヴンの脳裏に昔の記憶が過ぎる。


(まさか……)


「子どもが生まれてからって……、まさか珀明、アレを信じているって言うのか?」

「あぁ。だが、アレには試す価値はある。例えそれが失敗したとしても、瑪瑙は私と共に出掛ければいいだけのことだ」


 その真剣な眼差しに、微かな可能性も見逃さないという気迫を感じる。


(そこまで奏様を……。珀明のしようとしていることは、何の信憑性もないことなのに……)




 ―――それは、珀明とレイヴンがまだ高校生だった頃のこと




「急にどうしたんです? 蔵に何の用事があるんですか」


 珀明とレイヴンは、屋敷の敷地内にある蔵に来ていた。
 蔵には儀式の道具や、代々一族が保管している書物、骨董品などが収められている。


「“奏”に関して記している書物を探す」


 答えながらも珀明は、次々と古い書物を漁っていく。


「“奏”は伝説上の人物ですよね? わざわざ書物に書く人はいないと思いますが……」


 そもそも奏の話など父親から一度も聞いたことはない。


(まぁ、俺は執事の息子だから情報が来ることはないんですけどね……)


「この前、儀式があっただろ? あれは、“奏”襲名の儀式だ。今代の“奏”は、まだ六歳の少女だ」


(今代の“奏”が、たった六歳の……少女?)


「あぁ、あの日俺が貴方を呼びに行った時に一緒にいた女の子ですか」


 少ししか見ることが出来なかったが、可愛いらしい顔立ちをしていたことは覚えている。


(あの子どもが、今代“奏”……。まさか“奏”が実在していたとは……)


「あの子を助けたい。だから“奏"について情報が欲しい」


 たった一度だけ会った少女のことを気にかける珀明に、レイヴンは驚いた。


(まさか珀明ってロリコンだったんですか? 初めて、将来この方に仕えるのを不安に思いましたよ……)


「いいから、お前も馬鹿な想像巡らせてないで手伝え」


 顔に出ていたのか珀明からギロリと睨まれ、レイヴンはやれやれと肩を竦めた。


(おや、お見通しですか)


「はいはい。御協力しますよ」


 溜め息を一つ吐き、珀明とは反対側の書物を漁り始めることにした。
 ボロボロの書物の殆どが人の手によって書かれ、儀式や一族の歴史について記述されている。
 黙々と作業を進めていくが、それらしき書物は見つからない。


(本当に、そんな都合よく書かれた書物はあるんですかね?)


 そんな疑問が強まったとき、レイヴンは棚に違和感を感じた。
 五段ある書棚の書物を出して調べている時に、一番下の段の奥行きが僅かに浅いことに気がついたからだ。


「珀明!」


 珀明を呼び、板と板との僅かな隙間に傍に落ちていた細い金属の棒を差し込み、力を入れて引く。
 板を外した奥には、一冊の書物が隠すようにして入っていた。


「これは?」


 表紙の劣化が激しく、タイトルを読み取ることはできない。
 珀明とレイヴンは書物を開き、所々虫食いで読めない文章を追っていく。


「これ、日記みたいですね」


 文章は日付毎に書かれ、その日あったことが記されている。
 
 しかし、可笑しなことだ。


「何故、ただの日記が隠すように保管されているんだ?」


 珀明も同じ疑問を持ったのか、読み進めながら口にする。
 ただの日記なら、わざわざ蔵に遺すことも、隠す必要もない。
 つまり、厳重に《隠さなければならない》程のことが、この日記に記されているということになる。

 読み進めていく内に、その理由に至る内容のページに辿り着く。



 ○月二十九日

 分家の四歳の娘が“奏”の能力に目覚めた。



 ○月三十一日

 当主の命令で今回も“奏”を本家で引き取り、地下の座敷牢に閉じ込めることにした。



 ×月五日

 当主は“奏”を従順にさせる為、邪魔な教育や知識を与えないことを決めた。
 前の“奏”が自ら絶命したせいだろうか?
 毎日“奏”は飽きもせず泣きながら母親の名を呼ぶ。泣き叫んだところで望む相手は一生現れないと言うのに。



***



 △月三十一日

 今日で“奏”を引きとって十二年が経った。
 当主は美しく成長した“奏”を性欲を満たす為に使っていたが、先日“奏”が女の赤子を出産した。
 当主や私をはじめ、使用人達も“奏”の身体を試していた為、誰の赤子かは分からない。
 女は役に立たない為、当主の命で赤子は処分された。
 もしも私の赤子だったらと思うと、少し胸が痛む。



 □月七日

 赤子を処分してから十日経つが、“奏”に力を使うよう命じても力が発揮されない。
 赤子を生めば力を失うのだろうか?



 ◇月七日

 一月経ったが、未だ力を発揮しない。力を使えなければただの女。
 “奏”は締まり具合もいい為、このまま性奴として飼うのも手だが、当主は役に立たない“奏”には興味がないらしい。
 当主の命で明日“奏”を処分する。
 “奏”の身体を試すのも最後。私をはじめ、望む者も多い。大勢の男と“奏”も最後の夜を楽しめるだろう。



――――
――


 最後のページまで目を通し、珀明とレイヴンは言葉を失った。


(なんなんですか……、これ。命を絶てないように無知のまま座敷牢で飼い、身体を奪ったあげく子どもと“奏”を殺す? ……人間のすることじゃない)


 同じく沈黙していた珀明が、書物を持っておもむろに立ち上がった。
 書物を儀式道具を入れていたアルミ製の入れ物の中へ乱暴に入れ、灯りを点す為に持っていたマッチで火をつけた。


「珀明!?  何をするんです!」


 目の前で、古い書物が箱の中で燃えていく。


「……レイヴン。ここには、“奏”に関する書物は一冊もなかった……。そうだろう?」


 炎を見下ろしながら、珀明は静かに言った。
 炎を見つめるその瞳は、どこまでも暗い。


「……ええ、そうですね」


 一族当主がしてきた忌まわしい歴史―――
 あの日から“奏”に関する書物は存在しない。


 あの日の出来事は、レイヴンと珀明の二人だけの秘密。
 口にするのも、思い出すのもおぞましい、決して忘れることの出来ない記憶。

 そして、レイヴンと珀明の心に大きな影を落とすものだった―――




***




「けど、屋敷に座敷牢なんかなかったですよね?」


 使用人に配られる屋敷の見取り図を思い出す。
 平屋建ての屋敷には、地下室なんて書かれていなかった。


「祖母の父が当主になり最初にしたことは、『蔵』の地下を埋めることだったそうだ」

「蔵に地下?」

「あれを読んでから、他の文献も調べた。前当主にも確認をとったが、あの方もまだ幼い頃のことだから覚えていらっしゃらなかったけどな」


(なる程。蔵に座敷牢が……。それにしても……)


「まさかそんな昔から奏様を大切に考えていらしたとは、驚きですよ。愛情表現も分かりにくいですし」

「ふっ。瑪瑙にはこのことは黙っておけよ。万一のことを考えれば、今のまま『後継ぎとして“奏”の子どもが欲しい』と思われていた方がいい」


 珀明は空になったグラスにワインを注ぎ、ぐいっと一気に煽った。


(誤解されたままでいいなんて、無理しちゃって……。でも、貴方のそんな無茶な所も俺は気に入っているんですけどね)


「ええ、心得ておりますよ」


 レイヴンもグラスを持ち、残っている液体を同じように飲み干した―――



*『“奏”の歴史』END*

ゆう様に捧げます。
キリリク有難うございました。



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