『微笑み』Side珀明(2)*
***
「………ん」
目が覚め、条件反射のように隣に眠る瑪瑙の身体に腕を伸ばす。
「……!?」
だが下ろした腕は空を切り、手にはシーツの感触だけが残った。
シーツの冷たさから、瑪瑙がだいぶ前にベッドを降りたことが分かる。
(……何処に行った? いつも私の方が先に起きていたのに……)
ここの所、多忙を極めていたからだろうか。
珀明はベッドの上に上半身を起こした。
ベッドとサイドボード、クローゼットしか置かれていない殺風景な部屋。
部屋を見渡しても瑪瑙の姿はなかった。
すると、二間続きになっている書斎の扉が開かれ、瑪瑙が姿を現した。
「よく眠ってましたね」
自室の風呂にでも入っていたのか、瑪瑙はバスローブに身を包み、まだ湿っている髪をタオルで拭いながら此方へ近付いてくる。
「やはり、疲れが溜まってらしたんですね」
心配そうに伏せられる瞳。湯上がりの身体はしっとりと熱を孕み、甘い色香を放つ。
「珀明さん……、これを」
そう言って、瑪瑙は白い紙袋を差し出した。
(これはあの時の……)
バルコニーでレイヴンから貰ったと言っていた紙袋だ。
「これはお前がレイヴンから貰ったものだろう」
(一体何を考えているんだ)
瑪瑙の考えが分からず、苛立ちが募る。
「違います。私が、レイヴンに頼んでいたものです」
(レイヴンに頼んでいたもの?)
瑪瑙は紙袋から綺麗に包装された長方形の細長い箱を取り出した。
「開けてみて下さい」
珀明は箱を受け取り、包装を解いて箱を開けた。
「これは……」
(万年筆……)
箱の中には、黒いボディに細かい細工が施され、銀色の金具の付いた万年筆が納まっていた。
「珀明さんが使っていらしたのは、もう壊れてしまわれたでしょう?」
数週間前、珀明が長年使っていた万年筆が壊れてしまった。
海外のブランドのもので一つ一つ手作業で作られ、現在では生産されていないモデルだ。
だが、この万年筆はロゴもモデルも壊れたタイプに酷似している。
「あれは、珀明さんのご両親が高等部進学の際にお贈り下さったものだと、葉月さんからお聞きしました。レイヴンに手伝ってもらって、当時の職人に修復を依頼したんです」
瑪瑙の言葉に、最近あの万年筆を見なくなったのはそのせいかと思った。
「黙っていて、ごめんなさい」
何の反応も示さない珀明に、瑪瑙が不安そうに謝る。
ただ珀明は、瑪瑙の行いに驚いていただけだった。
屋敷に閉じ込め、不自由を強いても瑪瑙は珀明を気にかける。
「いや、だが別に修復する程のものではない」
確かに亡き両親から貰ったものだが、だからと言って思い入れはない。
全ては過去のことだ。物は物でしかない。
「珀明さんには、そうかもしれません。でも、きっと物には贈り主の想いが込められているから……」
「ご両親の想いが詰まったものだから大切になさって下さい」と、瑪瑙は珀明に告げた。
(ならばこれには、両親と瑪瑙の想いが込められていると言うわけか……。ならお前は一体、これにどんな想いを込めた?)
珀明は万年筆を箱から取り出し、手で感触を確かめる。
修復された万年筆は、しっくりと珀明の手に馴染んだ。
『物には贈り主の想いが込められているから……』
(お前がそう言うなら、悪くない……)
「使わせてもらおう」
そう珀明が言えば、瑪瑙は安心したように息を吐いた。
「ふふ、有難うございます」
珀明の言葉に、瑪瑙は口元に手をあて嬉しそうに微笑んだ。
「………」
(ああ、そうか。人に一方的に物を与えられることを善しとしないお前は、人の喜ぶ姿を見て笑顔を見せるんだな……)
「んっ!」
珀明は瑪瑙の背中に腕を回し、身体を引き寄せて唇をキスで塞いだ。
塞いだ唇は甘く、身体からは微かに香る薔薇の香りが鼻孔を擽る。
珀明はキスをしながら、瑪瑙を抱き締めた腕に力を込めた。
*『微笑み』END*
樹沙様に捧げます。
キリリク有難うございました。
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