『受胎告知』
※義皇×沙羅
暖かな午後の昼下がり。数日振りに晴天に恵まれたと言うのに、古川沙羅の気分は曇天だった。
「…………」
ダイニングテーブルの上に置かれた二本の細長いスティックを無言で見詰めること早一時間。
見詰める前にも見間違いではないかと目を閉じたり、目薬を点したりもしたにも関わらず、何度見ても体温計の形にも似たスティックの中心部分の小さな丸い穴には、陽性を示す記号がくっきりと表示されている。
「あ゛ぁ〜っ! 最っ悪!」
(あたしの人生、マジで終わった……)
両手で頭を抱え、沙羅はテーブルの上に突っ伏した。太陽の光を浴びたテーブルはほんのりと温かく、触れた額に温もりが伝わってくる。
「マ・ジ・で! あたしが一体何したんだっつーの! あ゛ぁ〜! 前世での行いが悪かったのかなー。アイツのガキを孕んじまうだなんて……」
うつ伏せていた顔を上げ、恨めしそうにスティック――妊娠検査薬を睨んだ。
安定した生理周期だったのに、今月は予定日を十日も過ぎても来なかった。
生理がやって来ない原因に心当たりもあった為、大急ぎで薬局に行き一番高い検査薬を二種類買った。
一個目で陽性反応が出たが、たかだか一分のスピード判定で何が分かるのだと、同じ価格でも三分で判定される物も使った。結果は一分の物と変わらず陽性だが。
沙羅が義皇と情を交わしたのはたった一度だ。子どもが欲しいと昼夜を問わず何ヵ月も言われ続け、余りのしつこさに条件付きで情を交わした。
一つ、情交は一度切り。
一つ、その一度の情交で妊娠しなかった場合は今後沙羅との子どもを諦めること。欲しければ余所で作れ。その場合は男の責任として沙羅と離婚し、その女性と再婚すること。
一つ、もしも妊娠した場合、妊婦期間は絶対服従。出産後、育児等の子どもに関する全てのことは義皇が責任を持つこと。
その条件を提示してから行為に及んだのは、それから半年後のことだった。
その間毎日婦人体温計で体温を計られ、おおよその排卵日を調べられた。子どもを確実に作る為にその手の本を真剣に読み漁り、疑問点があれば産婦人科にまで足を運ぶ男の姿は正直恐怖すら覚えるものだった。
一度の情交で妊娠する可能性はゼロではない。しかし、一度の情交で妊娠する確率は低いというのもまた事実だ。
何ヵ月も何年も子どもを授かれない夫婦も居れば、一度の情交で授かる夫婦も居る。
ある意味、妊娠は運と言って良い。
「妊娠なんてある意味運じゃん。なのにたった一回で当たるなんて……、流石奴の種。本人もしつこいと種までしつこいのかね……。ははっ……」
(―――って、全っ然笑えねぇ……)
乾いた笑みを浮かべたまま、まだ何の膨らみもない腹部を手で触れてみる。
まだ胎動どころか悪阻すらないのだから、新たな命が宿っていると言う実感が全く湧いて来ない。
「……本当に、居るんだよな? ココに……」
子どもを欲しいと思ったことは一度もない。あの男の子どもなら尚更だ。
けれど、子どもを要らないと思ったことも一度もない。それがあの男の子どもでも。
「まぁ、出来ちまったもんは仕方ない。約束を提示したのもあたしだし。いつまでもウジウジしてらんねーし。種はアイツのだけどコレはあたしの子なんだし」
(あたしの子、か……)
大嫌いな男の子どもの筈なのに、自分の子どもだと思うだけで胸の奥から暖かな気持ちが湧いて来る。
「変な気持ちだな。これが母性ってヤツか? あたしにもそんなもんが感情があったとはね……」
父親はともかく、母親には望まれずに生まれて来る子ども。
生まれる前から母親側から育児放棄されることが決まっている子ども。
それはきっと、子どもにとって幸福とは言い難いだろう。
それでも……
「……なぁ、お前が生まれて来る前から母親の育児放棄が決まってるけど、父親が一生懸命守って育ててくれるから安心しろよ。多分世間で言う育メンになると思うぜ。男としてはマジ最悪だけどな。だからさ、生まれてからは無理だけど、それまではあたしが守ってやるから、だから安心して生まれて来いよ……?」
言いながら、まだ平らな腹部をそっと撫でる。自身の腹部を撫でる沙羅の顔は、本人も気が付いていないのだろう、とても穏やかな微笑を浮かべていた。
*END*
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