『お花見』
優実が三年生になる直前のお話



 ―――春

 優実の通う聖末学園では、敷地に植えられた桜の木が暖かな春の陽射しの下で見頃を迎えていた。
 春休み中の今日、優実達は新入生を部活に勧誘すべく部活紹介の準備で登校していた。その準備が済み、ファントムの提案で二人で満開の桜の下でお花見をすることになった。

「通学で毎年見てるのに、じっくり見ると何だか新鮮〜」

 桜の枝が風になびく度、淡いピンク色の花びらがひらひらと舞い降りてくる。

「通学で見慣れていると、わざわざ足を止めて眺めようとは思わないものかもしれませんね」

 確かに、歩きながら桜を見ても、時間に追われているせいでわざわざ足を止めて眺めたりすることはなかった。

「それにしても、ここって静かで良いね」

 優実は自動販売機で買っていたミルクティーを口に運びながら辺りを見回した。
 ここは教員棟の隣。敷地の隅にあるこの場所には、生徒や職員も滅多に来ないのだと言う。
 事実、優実もファントムに言われるまで気が付かなかった。

 教員棟と塀との間にある、ちょっとしたスペースには花壇や他の木々もなく、あるのはこの大きな桜の木が一本だけ。

「そうですね。非常階段も緊急時以外は立ち入り禁止ですから、気付いている教員も少ないと思いますよ」

 ファントムは仮面の内側で目を細め、桜を見上げた。

「桜って良いよね。綺麗で、春告げの花って言葉がぴったり。今年最初に咲く花だし」

 綺麗に花を咲かせても、数日で儚く散ってしまう花びら。それはまるで、寝てもいずれ醒める夢のよう――
 舞い降りてくる花びらを掌で受け止めるような仕草をする優実に、ファントムは小さく笑った。

「残念ながら、桜は最初に咲く花ではありませんよ。“梅は花の兄、菊は花の弟”と言う言葉を耳にしたことはありませんか?」

「ううん、ないけど。梅と菊って科が違うんだから兄弟じゃないんじゃない?」

(だって梅はバラ科だし、菊はキク科でしょ?)

 優実が意味が理解できないと言う顔でそう言えば、ファントムは少し考える仕種をしてから口を開いた。

「すみません、言葉が足りませんでしたね。梅と菊が兄弟と言う意味ではありません。花の中で一番先に咲くのが梅の花なので花の中の兄、菊が一番最後に咲くので花の中の弟という意味です」

 まだ他の花の蕾が固い内から、その花は芽吹く。
 薄い紅色の花を咲かせる梅の花は、後に美しく咲き行く百花に先駆けて咲くことから花の兄と呼ばれ、晩秋に咲く菊は花の弟と呼ばれている。

「お花見と言えば今でこそ桜ですが、平安時代以前は梅の花だったんですよ」

「梅でお花見……。昔の人は自然の中で季節毎に咲く花をよく見てたってことだよね。今はお花屋さんで季節の花が買えるから、花の咲く時期なんて気にしないもん」

 どの季節にどの花が咲くのかなんて、温室栽培によって気軽に手に入る現代では、きっと知ってる人の方が少ないだろう。

「……なんだか悲しいね」

 寂しそうにそう口にする優実に、ファントムは驚いた。

(……優実さんは本当に聡い方ですね)

 全てを口にしなくても、言葉の中に秘められた意味をきちんと汲み取ってくれる。
 教師になってよかったと思える瞬間だ。

「そうですね。梅雨の語源は梅の実が熟す頃とも言いますし、如何に人が自然と寄り添って暮らしていたかがわかりますね」

 梅の花は春を告げ、その実は梅雨を知らせる。梅雨が過ぎれば、次は夏。

「じゃぁさ、来年は一緒に梅と桜でお花見しようよ」

「優実さんがそう望むのなら……。良い記念になりますね」

「記念って、何の?」

(先生の言い方からして、初・梅のお花見ってことじゃないよね?)

「梅の花の時期に間に合うかは微妙なところですが、桜の花が満開になる頃には優実さんと結婚していますから。結婚して初めてのお花見っていう記念日ですよ」

 サラリと口にしたファントムの言葉に、優実は自分の顔が赤くなっていくのが分かった。

「けっ、結婚……!?」

「してくれないんですか?」

 少し寂しそうなその声に、優実はブンブンと首を横に振る。

(嫌なわけないじゃない)

「するけど! ただ……、急に現実味が沸いてきたなって……」

(昔は結婚とかまだ先のことだと思ってた……。でも……、今年なんだよね。十八回目の誕生日。先生と結婚……)

 心の中で口にすれば、恥ずかしい気持ちと嬉しさが湧いてくる。
 でも、それと同じぐらい不安な気持ちが胸に渦を巻く。

(こんな気持ち、初めて。嬉しい筈なのに……、怖いだなんて)

「……ゆっくりでいいんです」

「え……?」

 まるで優実の不安を読み取ったかのような、ファントムの言葉。
 ファントムは仮面を外し、優実に微笑んだ。

「優実さんの中で、ゆっくり心を育てて下さい。結婚への不安も喜びも、私が受け止めますから」

 仮面越しではないその優しい声と眼差しは、心に渦巻く不安も暖かく溢れる喜びも、全てを包み込んでくれるかのよう――

(先生は何でもお見通しなんだね……。でも、先生が受け止めてくれるなら、怖くないよ……)


 貴方を想い、この胸に咲かせる花は
 来年の春きっと、鮮やかな色彩を放つ――



*END*



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